長野県飯田市の飯田市美術博物館市民ギャラリーで「展 今、小原絵画との交錯」という展覧会が開かれている(8月28日午後3時まで)。
これは一昨年83歳で亡くなった小原�忍祐の遺作21点と、40年ほど前に小原さんが飯田市で開いていた絵画塾で学んだ60歳前後の画家5人の作品を並べて展示したもの。小原�忍祐の古い遺作がこのように概観できる機会は初めてなのだ。
小原は1926年、長野県喬木村で曹洞宗渕静寺の次男として生まれる。東京美術学校師範科に入学するも、寺の跡を継ぐため中退する。その後自由美術展や日本アンデパンダン展に出品する。飯田市でリアリズム美術家集団を結成し、また芸術教育研究所やオバラ美術研究所を主宰したが、1973年、47歳のとき突然寺も家族も研究所も生徒も何もかも捨てて飯田市を去る。
その後名前を若栗玄と変え、松本市近くの松川村に住み、またインドやネパールに滞在し、洲之内徹の現代画廊や、銀座の美術ジャーナル画廊、長野市のロートレック画廊などで何度も個展を開いた。
2009年83歳で亡くなり、2010年ロートレック画廊で遺作展が開かれた。この遺作展では若栗玄の名前に変えてからの作品しか並べられなかった。逆に今回は小原�忍祐の名前のものだけが並んでいる。
私の実家は渕静寺の檀家であり、それとは別に小原さんは私の祖父と親交があって、私も個人的に相談に乗っていただいたりして、出奔した後も多少の親交があった。そんなことで小原姓の作品と若栗姓の作品を両方見ているが、作品は小原�忍祐名の古いものの方が圧倒的に良いと思う。
とくに今回も展示されている「ねはん」(1963年)がすばらしい。この時小原さんは37歳だったのだ。小原�忍祐の作品は飯田美術博物館はもとより公立美術館には1点も収蔵されていない。今回の出品作のうち17点が渕静寺に残されていた。こういう作品をこそ美術館が収蔵すべきなのに。
この展覧会を企画した5人の弟子たち、今村由男、木下以知夫、田中淑子、湯沢茂好、西村誠英の諸氏に深く感謝したい。
ねはん
きんま道(木馬道)
寺族
寡婦
婦人像
埋葬
作品1(左)とニット機(右)
左から小原泫祐と長男、道子夫人、次男
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若栗玄としての作品は、「沐浴(ガンガにて)」M100号の油彩を長野県飯田高校同窓会のホームページで見ることができる。
http://www.iikou-d.jp/frames/webmusium.htm
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「展 今、小原絵画との交錯」
2011年8月24日(水)〜8月28日(日)
10:30〜17:00(ただし最終日は15:00まで)
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飯田市美術博物館市民ギャラリー
長野県飯田市追手町2-655-7
電話0265-22-8118
http://www.iida-museum.org