7月15日は山本弘の祥月命日

 
 今日7月15日は山本弘の37回目の祥月命日だ。1981年のこの日亡くなった。アル中治療のため1年以上入院していた飯田市営病院を退院して100日ほどだった。家族を実家へ帰し、ひとりで自死した。51歳だった。
 山本弘は15歳で終戦を経験してから、なぜか自殺願望に取り付かれたのだった。首を吊り、ナイフを太ももに突き刺し、1升の焼酎を飲んでから池に飛び込み、青酸カリを飲み、だがいずれも失敗した。ただ愛子さんと結婚し娘の湘ちゃんが生まれてからは、もう自殺の影は消えたかのようだった。絵の制作の没頭する日々だった。その後に飲酒の日が続いた。絵画制作、飲酒、寝込むというサイクルが何年も何年も続いた。
 アル中はますますひどくなり、何度も入退院を繰り返した後、アル中治療のための1年以上に渡る隔離病棟への入院だった。そして退院して3カ月ほどで亡くなった。
 葬儀の日、山本家の墓に1輪のヤマユリが咲いていた。暑い日だった。墓の横の方で涙を流していると、参列していた友だちの久保田活司が、フナ泣くなよ、俺まで泣けちゃうじゃないかと言って泣いていた。いつからかそのヤマユリが好きになっていた


※写真は1973年9月、私が撮影した43歳の山本弘