山本弘31回目の祥月命日

 7月15日は山本弘の祥月命日だ。今年で31年目になる。1981年のこの日亡くなった。アル中治療のため1年以上入院していた飯田市営病院を退院して100日ほどだった。家族を実家へ帰し、ひとりで自死した。51歳だった。
 山本弘は15歳で終戦を経験してから、なぜか自殺願望に取り付かれたのだった。首を吊り、ナイフを太ももに突き刺し、1升の焼酎を飲んでから池に飛び込み、青酸カリを飲み、だがいずれも失敗した。ただ愛子さんと結婚し娘の湘ちゃんが生まれてからは、もう自殺の影は消えたかのようだった。絵の制作の没頭する日々だった。その後に飲酒の日が続いた。絵画制作、飲酒、寝込むというサイクルが何年も何年も続いた。
 アル中はますますひどくなり、何度も入退院を繰り返した後、1年以上に渡る隔離病棟への入院だった。そして退院して3カ月ほどで亡くなった。
 葬儀の日、山本家の墓に1輪のヤマユリが咲いていた。暑い日だった。墓の横の方で涙を流していると、参列していた友だちの久保田活司が、フナ泣くなよ、俺まで泣けちゃうじゃないかと言って泣いていた。
 世田谷の画廊に知人の絵描きの個展を見に行ったとき、途中のしゃれた住宅街のあちこちに黄色い薔薇が咲いていた。庭でバラの手入れをしている老婦人に花の名前を訊くとモッコウバラだと教えてくれた。この花は美智子様のお印なのよと。お印とは皇族が身の回りの品に付ける名前代わりのものらしい。調べるとモッコウバラ眞子内親王のお印とのこと。
 いつからかヤマユリが好きになっていた。では私の印はヤマユリにしよう。