山本弘年譜

山本弘年譜 (2023.4.9作成)

 これは昨年9月から開かれた山本弘展(東御市立梅野記念絵画館)の図録のために私が作成した年譜である。

 

1930年(昭和5年)0歳

 6月15日 長野県下伊那郡神稲村(現豊丘村)供野に山本里二と千春の次男として生まれる。兄に2歳上の昭三、妹にみち子、久美子、弟に武夫がいる。

1935年(昭和10年) 5歳

 家族とともに長野県飯田町へ転居。

1937年(昭和12年) 7歳

 飯田市立追手町小学校浜井場部入学(4月1日、飯田市制施行)。

1943年(昭和18年) 13歳

 飯田市立飯田小学校高等科(現東中学)入学。

1945年(昭和20年) 15歳

 飯田市立飯田小学校高等科卒業。この頃、疎開していた後の映画監督恩地日出夫と一緒に暮らす。海軍2種飛行予科練終生に入隊するとて上京した模様だが、厚生労働省に確認したところ入隊の記録はなかった。

 8月15日終戦

1946年(昭和21年) 16歳

 10月 「第2回全信州美術展覧会」に入選。この時の住所が、東京都板橋区石神井室町滝川太郎方となっている。滝川太郎は贋作で有名な画家だ。山本は、滝川のところに書生として住み込みで弟子入りしていたが、爪が擦り切れるくらい人使いが荒く逃げ出したと言っていた。

 この頃から翌年にかけて、ベルトで首をくくったり(古ベルトが切れて失敗)、猫いらずを飲んだり、殺虫剤のDDT粉剤を茶碗一杯飲んだりした(腹痛を起こす)が、死には至らなかった。

1947年(昭和22年) 17歳

 3月 上京する。4月 幼馴染の長沼計司が西武線武蔵関の山本の下宿を訪ねている。

 4月20日 飯田市大火にて市の大半を焼失する(山本宅は消失を免れる)。

 9月頃 創作の意欲強く大量に描く。読書もすさまじい。詩「フハイした俺の肺が・・・」を書く。

1948年(昭和23年) 18歳

 1月 詩作に熱中し、友人らと詩誌『ドブロフスキー』を発刊。

 4月 造形美術学校(旧帝国美術学校、現武蔵野美術大学)に入学する。のち退学する。また、1968年の個展の略歴に、阿佐ヶ谷絵画研究所と商美(武蔵野美術大学)で学ぶとある。

 5月 飯田市出身者用の学生寮信武寮(東京都杉並区)に入る。

 7月 自殺をほのめかし失踪。

 8月1日 借金の返済を友人たちに迫られ、またいつもの自殺が狂言ではないかと言われ、ダムに飛び込むことを約束する。まず焼酎1升を一気にラッパ飲みし、しばらく酔いが回るのを待って長野県宮田村伊那峡ダムへ飛び込むが、100m離れた対岸へ泳ぎついて生還する。

 11月 この頃ヒロポン中毒に苦しみ、飯田市内の自宅で青酸カリ自殺を計るが生還する。また少し後、友人たちに自殺癖を狂言と責められ、ジャックナイフを腿に突き立て重傷を負う。

 この頃、遠山村で代用教員をする。

1949年(昭和24年) 19歳

 1月5日 ヒロポン中毒で暮れから寝ていたが、ついに縁が切れたと、ヒロポン注射をやめたという。

1951年(昭和26年) 21歳

 3月 母千春亡くなる。行年46歳。

1953年(昭和28年) 23歳

 この頃飯田市へ戻る。

1955年(昭和30年) 25歳

 5月 飯田美術会展(飯田美術会主催)に出品。

 8月 第1回杉並美術展(杉並区菊華高校)に油彩を出品。ほかに、池田龍雄小山田二郎、小山田チカエらが出品していた。

 日本美術会飯伊支部結成に参加。日本アンデパンダン展(東京都美術館)に出品。8月 平和美術展に出品。

 この頃、日本美術会山崎外郷の知遇を受ける。名刺に「東京都中野区大和町165 山崎方」とあるが、これは山崎外郷の住所だった。

 秋、詩集『ありじごく』第1集発行(私家版)

 12月 「二人展」(山本弘・菅沼立男:飯田市公民館)。

1956年(昭和31年) 26歳

 4月 第1回飯田アンデパンダン展に出品(飯田市中央公民館)。同展に難波田龍起来場。同展に毎回出品する。

 この頃、約半年間天竜舟下りの檜笠の絵付けをする。

1957年(昭和32年) 27歳

 日本美術界の支部制度解消に伴い、日本美術会飯伊支部を飯田美術協議会(飯美協)に発展的改組。同会結成に参加。

1958年(昭和33年) 28歳

 8月 第1回山本弘個人展(飯田市中央公民館:35点を展示)。

 耕雲寺、開善寺などで寄食したり山仕事しながら描く。

1960年(昭和35年) 30歳

 この年の日本美術会会員名簿に名前が記載されている(住所:飯田市浜井町)。

1961年(昭和36年) 31歳

 「四人展」(山本弘・小原泫祐・原東彦・菅沼立男:飯田市公民館)。

 6月 飯田地方を集中豪雨襲う。

 6月~  夏の間、遠山望と共に北軽井沢松月湖の土産物店で楽焼など作って働く(翌年も)。

1963年(昭和38年) 33歳 

 7月 第2回山本弘個人展(飯田市中央公民館:29点展示)。

1964年(昭和39年) 34歳

 リアリズム美術家集団(リア美)結成に参加。

 この頃、ブロバリン睡眠薬)を服用して自殺を図り高松病院に入院する。

1965年(昭和40年) 35歳

 10月 第3回山本弘個展(飯田市中央公民館:29点展示)。

1966年(昭和41年) 36歳

 関龍夫夫妻の媒酌で松島愛子(25歳)と結婚。飯田市郊外上郷町上黒田(蜂谷方)に住む。この頃過度の飲酒で最初の脳血栓を起こし、言語障害を発し手足が不自由になる。入退院を繰り返す。

 4月~12月 リア美展、井岡会展、赤石林道展に出品する。

1967年(昭和42年) 37歳

 2月 日本アンデパンダン展(東京都美術館)に出品。

1968年(昭和43年) 38歳

 8月 山本弘作品展(飯田市中央公民館:34点を展示)。

 8月 上郷村役場に「黒い鳥」(30F)を寄贈する。

1969年(昭和44年) 39歳

 2月 日本アンデパンダン展(東京都美術館)に出品。

 8月 平和美術展(東京都美術館)に出品。

1971年(昭和46年) 41歳

 同じ上郷町の別府上つつみ下2263番地(小林方)に転居。以後同地にて生涯を過ごす。

 5月10日 長女湘生まれる。家庭生活は落ち着くが飲酒により健康状態は悪化。画風は次第に具象的なものから内面的なものの追及に打ち込むようになる。

1972年(昭和47年) 42歳

 日本アンデパンダン展(東京都美術館)に「日だまり」(50F)を出品。見知らぬ人からこの作品を10万円で買いたいと申し出があるが、俺の絵は売りものではないと断る。

 9月 山本弘展(飯田画廊:32点を展示)。

 入退院を繰り返し、再度の脳血栓で半身不随に陥る。

1975年(昭和50年) 45歳

 アルコール中毒治療のため飯田病院精神科入院。

1976年(昭和51年) 46歳

 1月 飯田病院精神科を退院。以後2年間断酒する。

 9月 山本弘展(飯田市勤労者福祉センター:52点を展示)。

 この頃、日本美術会を退会する。リアリズム美術家集団を除名される。

1977年(昭和52年) 47歳

 4月 山本弘展(飯田市公民館)。

1978年(昭和53年) 48歳

 1月 山本弘展(飯田市公民館)再び飲酒を始める。

 10月 山本弘展(飯田市公民館:55点を展示)。今回は売らないと宣言する。入院・退院を繰り返す。

1979年(昭和54年) 49歳

 アルコール中毒進む。

1980年(昭和55年) 50歳

 1月 アルコール中毒治療のため飯田病院精神科に入院する。入院日誌にもスケッチを交え、制作への欲求を訴える。

1981年(昭和56年) 51歳

 4月 飯田病院精神科を退院する。退院後も飲酒をやめず描く。

 7月15日 自宅にて縊死。享年51歳。鼎町法蔵寺にて葬儀。戒名は小原泫祐(=若栗玄)が生前授けた彩弘鏤骨信士(小原が授けたのは酔月院彩管鏤骨居士)。

 第30回飯田アンデパンダン展に遺作展示。

1985年(昭和60年)

 11月 『山本弘遺作画集』が友人たちの刊行委員会によって刊行される。限定280部。

 11月 山本弘遺作展(飯田市中央公民館・キング堂画廊・犬塚画廊:3会場で展示数約400点)。

1991年(平成3年)

 3月 飯田市立美術博物館に44点収蔵される。

 6月 飯田市立美術博物館で新収蔵品展が開かれ、山本弘の油彩11点が展示される。

1992年(平成4年)

 12月 美術評論家針生一郎が遺作を見るため飯田市へ遺族を訪ねる。

1994年(平成6年)

 東邦画廊(東京)にて山本弘遺作展。(1995)(1997)(2000)(2002)。

1995年(平成7年)

 2月 「弘さ思い出展」(飯田市ふれあいサロン波奈)。

 11月 東邦画廊(東京)にて「物故作家三人展」(菅創吉・杢田たけを・山本弘)。

 11月 飯田市立美術博物館にて「須田剋太山本弘二人展」(山本は18点が展示される)。

1996年(平成8年)

 3月 東邦画廊(東京)にて「三者三態展」(杢田たけを・山本弘・堀内康司)。

1998年(平成10年)

 5月 東邦画廊(東京)にて「杢田たけを・山本弘2人展」

2004年(平成16年)

 2月 兜屋画廊(東京)にて山本弘展。

 4月 ギャラリー汲美(東京)にて山本弘展。(2006年)(2007年)。

2005年(平成17年) 77ギャラリー(東京)にて山本弘展。

2007年(平成19年) ギャラリーMoMo(東京)にて山本弘&熊丸加奈子展。

2009年(平成21年) ギャラリーゴトウ2nd room(東京)にて山本弘展。

2011年(平成23年) ギャラリー戸村(東京)にて山本弘展。

2014年(平成26年) ギャラリー403(東京)にて山本弘展。

2016年(平成28年) 銀座K’sギャラリー-an(東京)にて山本弘展。

2017年(平成29年) TS4312(東京)にて山本弘展。

2017年(平成29年)

 アートギャラリー道玄坂(東京)にて山本弘展、(2018年)(2019年)。