山本弘展が始まる


 東京銀座の銀座K'sギャラリーanで山本弘展が始まる(10月3日まで)。私が書いた「山本弘展に寄せて」を下記に写す。

K'sギャラリーで山本弘展が開かれます。1981年に51歳で亡くなり、その13年後1994年に東京で初めて個展が開かれてから、今回でもう19回目を数えます。
亡くなった時には全く無名だったのに、死後美術評論家針生一郎瀬木慎一、ワシオトシヒコ等の先生方から高く評価され、展評も読売新聞、芸術新潮、月刊美術、産経新聞週刊ポスト、にっけい あーと等々に取り上げられました。徐々に名前も知られコレクターも現れました。亡くなって34年になりますが、少しずつ評価が高まってきたのを感じます。
山本弘は1930(昭和5)年に長野県の河野村(現豊丘村)で生まれ、幼い頃両親とともに隣の飯田市へ引っ越しました。1945年15歳の時予科練へ入隊すると言って故郷を出ましたが、実際に入隊した記録はありません。間もなく終戦を迎えて帰郷します。それから何度も自殺を試み、しかしいずれも生還しました。1947年17歳の時に全信州美術展特選、翌年上京して造形美術学校(旧帝国美術学校、現武蔵野美術大学)に入学します。卒業した記録はなく、おそらく授業料が納められなく中退したのでしょう。
何年か東京で暮らしたのち帰郷し、その後ヒロポン中毒に苦しみました。25歳で日本美術会飯伊支部結成に参加し、日本アンデパンダン展に出品し始めます。同年、飯田市公民館で菅沼立男との二人展、1958年28歳の時飯田市公民館で初個展を開きました。1964年、飯田リアリズム美術家集団結成に参加。1966年36歳で松島愛子と結婚しました。この頃過度の飲酒のためか脳血栓になり、それ以降言語障害、手足の不自由に苦しみます。それでも過度の飲酒は止むことがなく、1973年43歳で脳血栓が再発します。
飯田市での個展は生前8回を数えましたが、ついに東京での個展はありませんでした。1981年51歳で自死します。その4年後、友人たちの手によって『山本弘遺作画集』が刊行され、飯田市内の3つの会場で400点を集めた大規模な遺作展が開かれました。1991年、飯田市美術博物館が50点近くを収蔵し、新収蔵品展に11点が展示されました。さらに1995年、同館で須田剋太山本弘 二人展が開かれました。
1992年、針生一郎氏が飯田市へ遺族を訪ね、遺作を見て高く評価されました。その後1994年から東京京橋の東邦画廊で遺作展が始まり、別記のように様々な方から高い評価を頂いています。会場に来られた池田二十世紀美術館の牧田喜義氏に、もうあなたの先生は大丈夫だよと言われたことも忘れられません。
針生一郎氏から、どんな画家にも見る者への媚びがある、しかしこの人の絵には全く媚びがないねと言われました。ただ自分のためだけに描いている。生涯、絵以外のどんな価値も顧みなかった"虚無の画家"、酒に溺れながら孤高を保ち俗世間を拒絶した"風狂無頼の画家" 山本弘の激しく美しい作品をご覧ください。

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山本弘
2015年9月28日(月)−10月3日(土)
12:00ー19:00(金曜日ー20:00、土曜日11:30ー17:30)
※10月2日(金)は夜8時まで開廊しています。
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銀座K'sギャラリーan
東京都中央区銀座1-13-4 大和銀座ビル6F
電話03-5159-0809
http://ks-g.main.jp/
1階が鈴木美術画廊でホテルサンルートの前。
※7月に京橋から移転しているので注意。