中上健次『一八歳、海へ』を読む

 中上健次『一八歳、海へ』(集英社文庫)を読む。中上の初期短篇集だ。あとがきで中上が18歳から23歳にかけて書いたと綴っている。実に下手な短篇集だった。比喩を練っているが生硬なものに留まっている。「愛のような」は安部公房ばりの設定かと読み進めたが、最後は鼠一匹だった。

 本書を初めて読んだのは単行本でだった。もう45年近く前になる。当時年下の友人田中君が送ってくれたのだった。なぜ、これをと不思議に思ったが、新しい才能を教えてくれたのだろうくらいに考えていた。もっともそれで自分でも納得しなかったのは、いまでも小さな疑問として残っているのでも分かる。しかし田中君は数年前に亡くなっているので、もう疑問を確かめるすべはない。

 田中君と私には共通点があった。二人とも女にもてなかった。田中君は2回、私は1回女に振られた。この場合の振られたは配偶者に棄てられたことを意味する。私が1回なのは結婚を1度しかしなかったから。籍の入っていない女だったら二人とももっと数多いだろう。

 もう一つ田中君と共通するのは、二人とも不器量だったことか。村上春樹が「ドライブ・マイ・カー」という短篇で書いている。

 主人公の家福が、雇っている女性ドライバーに言う。

 

「前から言おうと思っていたんだが」と彼は言った。「よく見ると君はなかなか可愛い。ちっとも醜くなんかない」

「ありがとうございます。私も醜いとは思いません。ただあまり器量がよくないだけです。ソーニャと同じように」

 

 ソーニャはチェホフの『ワーニャ伯父さん』に出てくる娘だ。まあ、私たちに、「よく見るとあなたはなかなかカッコいい」と言ってくれる女性はいないだろうが。

 田中君は膵臓がんで亡くなった。私も同じような最後を遂げるだろう。そこらあたりも二人に共通するのかもしれない。