岩波文庫の『近代日本短篇小説選 昭和篇3』を読む。紅野敏郎ほか4人が編集して、13人の作家が取り上げられている。サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立を取り戻した戦後の1952年から1969年までに発表された短篇小説をまとめたもの。13人の作家は、小島信夫、吉行淳之介、幸田文、庄野潤三、中野重治、円地文子、花田清輝、富士正晴、山川方夫、島尾敏雄、埴谷雄高、深沢七郎、三島由紀夫となっている。吉行淳之介「驟雨」、幸田文「黒い裾」、山川方夫「夏の葬列」、島尾敏雄「出発は遂に訪れず」など、いずれも見事な作品だ。ある意味、これらが戦後初期の最も優れた短篇だと言えるのかもしれない。
小島信夫「小銃」、深沢七郎「無妙記」、三島由紀夫「蘭陵王」がそれに次いだ。それから中野重治「萩のもんかきや」、円地文子「二世の縁 拾遺」、富士正晴「帝国軍隊に於ける学習・序」などか。庄野潤三「結婚」はどうにも好きになれない類のものだ。埴谷雄高は「闇の中の黒い馬」、昔友人が絶賛していたが、これまたどうにも容認しがたい。
一番評価できないのが花田清輝「軍猿図」だった。武田信玄に追放された実の父、武田信虎を主人公にしている。花田は評論集『復興期の精神』で高い評価を得ている。それが小説となるとどうもいけないのだ。優れた評論家が、その高い評価とは裏腹の小説を書く例としては、加藤周一、丸谷才一などが思いつく。花田もこの例に漏れないということなのだろう。川端康成のような優れた小説家が、つまらない評論を書くことと相似の関係にあるみたいだ。
紅野の解説はていねいで個々の作品を詳しく紹介している。その解説の末尾の文章。三島の「蘭陵王」の発表が1969年11月、その1年後に三島は自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた。
こうして1970年代が幕開きした。それからすでに40年以上の歳月が流れているが、昭和篇はここでひとまずの区切りとする。もちろん、この折返し点を過ぎたあとも、昭和という時代は20年近く続いた。古井由吉や後藤明生ら「内向の世代」と呼ばれた作家たちが活躍を開始し、津島佑子、中上健次、村上龍、村上春樹、そして多くの女性作家たちの登場があった。そこでも多くの優れた短篇小説が書かれ、支持を受けたが、それにはまた時期をおいて、べつのアンソロジーが必要となるであろう。
その1970年代以降のアンソロジーを読みたいと思う。だが、近い過去の評価は難しいものがあるのも事実だ。戦後しばらくの日本の現代文学は、何と言っても志賀直哉が圧倒的な巨人として崇められていたのだ。20世紀の世界十大小説という企画に志賀直哉の『暗夜行路』が選ばれていたことを思い出す。