大江健三郎・古井由吉『文学の淵を渡る』を読む(その1)

 大江健三郎古井由吉『文学の淵を渡る』(新潮文庫)を読む。1993年から2015年までに行われた大江と古井の文学をめぐる6回の対談をまとめたもの。いずれも質が高くすばらしい対談集だ。中に「百年の短篇小説を読む」というのがあり、これは雑誌『新潮』1996年7月臨時増刊「新潮名作百年の文学」に掲載されたもので、対談の冒頭、編集部が次のように言っている。

 ――今日は、創刊以来「新潮」に掲載された短篇の中から選んだ、森鴎外の「身上話」から始まって、中上健次の「重力の都」まで35篇を通して読んでいただいた感想を伺い、日本の近・現代文学において短篇小説が持っている意味合いを話し合ってくださればと思います。(……)

 個々の作家の作品について、二人が2ページから数ページで話し合っている。これが優れた寸評になっていてすばらしい。
正宗白鳥・文体を変えつづける」

大江健三郎  中篇「微光」の頃の、黄金時代と言っていいような豊かな時代があって、晩年はまた短篇の名手ですね。エッセイでもなければ小説でもない、しかしそのどちらでもあるような、特別な形式をつくっている。明治生まれの文学者で、昭和後半の最後まで知的に衰えなかった人として、ほかの人とは比較できないほどじゃないかな。
古井由吉  文章が一番変わっていった人ですね。時期によってそれぞれまったく違う。それが知的ということですね。前のものを否定していく形でやっていきます。近頃、若い人と『自然主義文学盛衰史』を読んでいますけど、そこで白鳥は自然主義の諸大家にたいしてかなり辛辣なことを言うけれど、結局は自己否定なんです。

志賀直哉・いかがわしさの正体」

古井  志賀直哉という人は、非常にまっとうな作家のように思われてるけど、人物の表し方に独特な屈曲がありますね。「好人物の夫婦」といっても、男の方の人物にはなかなか奇妙な性癖があります。
大江  しかもそのことについて反省はしない。志賀直哉の崇拝者たちが、今でも芸術院の顔役だったりするでしょう。そういう人たちから見ると、志賀直哉の人格万歳、文章万歳ということで、それが日本の私小説の一つの理想型をつくっていると思います。しかし、僕は志賀直哉という人物にはいかがわしいところもあると考えています。そのいかがわしさを批判的に自分で意識して書いたもの、このような人間であるほかない、ということをはっきり自覚して書いているもの、例えば『暗夜行路』は美しい、立派な小説ですよ。この「好人物の夫婦」では、この夫の嫌らしさというか、どうにもしょうがない人物であることが……。
古井  よく露呈してますね。
大江  そうです。そこで、「好人物の夫婦」と客観化したつもりかもしれませんが、作品自体はどうでしょう。こんな人物は世界文学の中では成立しません(笑)。
(中略)
古井  書き手には、ギュッと押し出したのに、押し出したという意識がないんですよ。だから露呈と言われても仕方がない。
大江  そのくせ、自信をもった夫のやさしさもあり、人間に対する微妙なやさしさもある。女中さんにたいするやさしさ。不思議な人ですね。ただ、これが文学のお手本だとすると、日本文学は世界文学として成立しない。

葛西善蔵・二重のもの言い」

大江  これ(葛西善蔵「青い顔」)は今まで僕たちが話してきた、明治初期生まれの人が書いた短篇のなかでとくに優秀なものの一つじゃないですか。いわゆる大作家として文学史に残る人に比べて、特殊な作家として扱われる人で、しかもその人の文章の癖が時代と密着しすぎていて、後には生き延びられないと感じられるような作家で、思い立って読み返してみると、これは確実にいい作家だという人がいるんですね。いい短篇作家だと言ってもいい。例えば森鴎外葛西善蔵を比べてどちらを採るかというと、短篇の水準でいえば僕は葛西善蔵を採るなあ。
古井  少なくともエキサイトしますね、こちらのほうが。

岡本かの子・学ぶべき短篇作法」

大江  僕は「家霊」は短篇としてとても優れていると思いました。ほかの作家に、短篇らしい短篇をつくっていこうとする気構えがあまりなかった時に、岡本かの子はそれをしっかりやった人なんじゃないか。
(中略)
大江  こういう人が、特に若い作家によって尊重されればいい。若い作家が自分の文学の将来を考える時、葛西善蔵みたいな名人芸を学ぶよりは、岡本かの子みたいな実質的なやり方に学んだほうがいい。

牧野信一・とびきりの名手の技」

大江  続いて芥川を神経衰弱にしてしまうにたる奇っ怪な名手二人が現れてくる。牧野信一の「西瓜喰ふ人」。
古井  いや、大変な作家がいたと思いました。
大江  この短篇選の中で最上の作品だと思う。
古井  僕もこれが一番です。
大江  牧野信一は、芥川に比べれば民衆の支持、批評家の支持でいって、大人と子供ぐらい違ったでしょう。しかもこれだけしっかりしたものを残して自殺していったんですね。

 もう一人の名手はおそらく嘉村磯多らしい。
太宰治西鶴と結ぶ意味」

大江  こちらはいかにも自分の文体で、言いたいことを言っているのが、太宰治の「新釈諸国噺」。
古井  僕は、太宰は、戦後の短い期間の小説を最高のものとしますんで、これは一時待避という感じに読めます。
(中略)
大江  あわせて芥川と自分とを比べて、素人と玄人という気持ちもあったでしょうね。大岡昇平太宰治は同じ歳なんですね。作家の全体として大岡さんのほうが偉大だと思いますけど、短篇の巧みさということでは太宰治は傑出している人ですね。(……)

開高健・観察と分析」

大江  開高健の「一日」ですが。
古井  僕は大層感銘を受けて読みました。これは35篇の中で一番新しい作品なんです。昭和63年。
大江  (……)開高さんは観察と分析ということをしようとした。今どきの人には少ないですよ。それがプラスの面。それから、反対意見もあるでしょうけど、開高さんは、小説の物語をつくる才能がなかった人じゃないかと思う。
古井  際立ってあった人とは思えません。
大江  全然ないとはもちろん言いませんが、観察の力、分析の力、文章をカラフルに書く力に比べると、嘘の物語をつくるという能力においてすぐれているとは言えなかった。それが、彼が一生、小説が書けない書けないと言っていた唯一の理由なんです。僕は、それが不思議。話してみると、いつも面白い話をどんどんする人なのに。

 この章以外については、また改めて。本当に1級の対談を読んだ思いがする。



文学の淵を渡る (新潮文庫)

文学の淵を渡る (新潮文庫)