川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』を読む

 川上弘美『大きな鳥にさらわれないよう』(講談社)を読んだ。14篇の連作短篇で綴るSF仕立ての物語。川上は昔読んだ『センセイの鞄』がとても良かった。さて、本書の時代はいつとは記されていない。最初の短篇の「私」は現在までに2回結婚している。夫は4回だ。「私」が育ててきた子供は50人ほどか。名前をはっきり覚えている子供は15人いる。夫に今まで結婚していた妻たちの形見を見せてもらうと、みな骨の一片で、最初の妻は鼠由来、次は馬由来、3番目はカンガルー由来だという。夫が亡くなったあと骨を調べるとイルカ由来だった。
 変な話で始まるが、最終話でほとんどの謎が解ける。最初の短篇を読みながら、会田綱雄の詩「伝説」の文体に似ていると思った。またカズオ・イシグロの『私を離さないで』の影響が強いこともわかった。
 連作を通じて「見守り」が子どもたちを育てているように見える。見守りはあるいは「母たち」とも呼ばれ、さらにその上に「大きな母」という存在もある。見守りは多く固有名がないが、ヤコブという名前の見守りもいる。
 読み進むと人間たちが絶滅し、母たちが新しい世界を作り、その集団を育てているらしいことが分かってくる。
 「純」文学でありながらSFという作品は、安部公房の諸作や大江健三郎の『治療塔』と『治療塔惑星』、三島由紀夫の『美しい星』などを思い出す。いずれもSFという構造を使って文学的な表現を目指している。それに対して純粋?SFは、未来世界のことなど、もっと技術的なことに関心が向いている。純粋SFから見たら、純文学作家のSFは物足りなく思えるだろう。ただ純粋SFでありながら、突出して別次元に入っていると評価できるのがスタニスワフ・レムだ。
 川上の本作はSF仕立てでありながら、究極にはSFの枠組みを利用しているだけだろう。その意味でSF作品として評価することは的外れになると思う。では文学作品としてはどうか? かなり高い評価を与えられて良いのかもしれない。構想している世界は独特で大きいものだ。ただ連作という形式であり、毎回主人公とされる人物たちが変わり、それらを通して全体像をつかむのが私には少々難しかった。私の読解力の問題かもしれない。最後の短篇作品で、最初の作品と繋がって、ウロボロスのように尾を呑みこんで円形に完成するのは見事だった。2〜3年経って、文庫化したらもう一度読み直してみたい。


大きな鳥にさらわれないよう

大きな鳥にさらわれないよう