加藤周一の小説「幻想薔薇都市」を読みかえして

 加藤周一の短篇集「幻想薔薇都市」(岩波書店)を読む。これは1994年に「シリーズ旅の本箱」の1冊として発行されたものだが、最初に新潮社のPR誌「波」に連載され、その後1973年に新潮社から単行本で発行された。私は雑誌と新潮社版とこの岩波書店版と3回読んだことになる。
 加藤周一は昔から好きな著者だった。最初は自伝「羊の歌」(岩波新書)あたりから読み始めたのだったか。古い話でもう憶えていない。ただ1975年に発行された「日本文学史序説(上)」(筑摩書房)を読んで、加藤が現代日本の最上級の知識人であることを確信した。
 加藤周一の小説「三題噺」を読んだときに「みごとな出来栄えだと思う。でありながら、優れた小説かといえば、躊躇してしまう。加藤の日本文化史を読んだときの感動に似ているのだ。何が違うのかよく分からないのだが。小説にしては理が勝ちすぎるのだろか」と書いたことがある。
「幻想薔薇都市」は新潮社のPR誌に毎月連載された。海外の12の都市を舞台にして短編を書き、最期に京都を舞台にしてこの短篇集を完成させている。さすが加藤周一、うまいと思う。特にパリを舞台にした「静かな嵐」が良かった。しかし短編という性格から、肝腎の具体的な事柄は省かれている。こんな風に、

 私の生活が変ったのは、その後しばらくしてからのことである。私は度々巴里へ行くようになり、彼女をもっとよく知るようになった。またそのために、双方の生活が嵐の中に捲きこまれるということがあった。双方が精力を費(つか)い果し、疲れきったときに、われわれはもう一度別れた。今度はわれわれにとって決定的な刻が、永久に過ぎ去ったということを、痛いほどはっきり感じながら。はじめて私を呼びとめた彼女は、少しも変っていなかった。アンヴァリッドの「カフェー」で別れたときにも、変ってはいなかった。しかし二度別れたときにもし彼女が変っていなかったとしたら、私が変っていたのだろう。

 ここで「双方の生活が嵐の中に捲きこまれるということがあった」と書かれているのは、彼女には夫がいるからだ。引用した文章のあと、10行書かれて「静かな嵐」は終わる。これはまるで「梗概」ではないか。
 優れた知識人は優れた作家を兼ねることができないのではないか。同様に優れた作家、たとえば深沢七郎車谷長吉も優れた知識人ではないのだろう。川上弘美小川洋子しかり。
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加藤周一の小説「三題噺」を読む(1)(2010年10月25日)