車谷長吉『文士の生魑魅』を読む

 車谷長吉『文士の生魑魅』(新潮社)を読む。これはその後『文士の魂・文士の生魑魅』として新潮文庫に収められた。新潮文庫を読んでこのブログに紹介したが、今度単行本をもらったので再読した。やはり優れた読書案内だと思う。(生魑魅=いきすだま)
 「エロ小説」の項で伝芥川龍之介の「赤い帽子の女」と永井荷風四畳半襖の下張」が比べられる。どちらもほぼ2ページほどが引用される。そして「赤い帽子の女」は芥川龍之介の文章ではないと言う。芥川の「袈裟と盛遠」「地獄変」「秋」などの超密な文体を思い浮かべる時、この「赤い帽子の女」の文体は余りにも粗雑であると。
 それに対し、「四畳半襖の下張」の文体は、岩波書店版「荷風全集」を読んだ者にはおなじみの文体であって、まぎれもなく荷風のものであり、また、この作品は「金阜山人戯作」ということになっているけれど、金阜山人は永井荷風がしばしば用いた雅号であって、この点でも、荷風作に間違いはない。
 荷風といえば、以前黒テントが『荷風のオペラ』という芝居をしたことがあって、そのちらしを壁に貼っておいたら、幼かった娘が「にかぜのオペラ」って何って訊いてきたことをいつも思い出す。
 車谷が深澤七郎に初めて会ったとき、深澤はいきなり尋ねた。「あんた、会社員やったそうだけど、いくらもらっていたの?」「手取り二萬四千円ほどです。」「へェ。そんな安い月給で、よく働いていたね。」初対面の人に、出し抜けに収入の額を聞くというのは、なかなかしたたかな人だと思うた。私も妻の伯父さんで病院の院長だった人にいきなり聞かれたことがあった。正好君、給料いくらもらっているの? ××万円です。何だ、俺の小遣いじゃないか。伯母さんからは、妻が出産したとき、正好さん、今まで避妊してたの? と聞かれ、これまた驚いた。日常会話で個人的な避妊を話題にするなんて、これが大人の会話かと思ったが、伯母は産婦人科医の妻なのだった。
 深澤七郎は「平家物語」にギターで自前の節をつけたのを語ってくれた。「平家物語」は岩波文庫で上下二冊本である。それを全部暗記しているのである。
 「史伝」の項で、幸田露伴森鴎外石川淳が紹介され、最後に加藤周一の『三題噺』が語られる。『三題噺』は箱入りの単行本を持っていた。詩仙堂石川丈山一休宗純、富永仲基の史伝である。詩仙堂には思い出がある。入社したばかりの会社で、朝出勤すると京都へ出張している社長が撮影機材を忘れたからすぐ新幹線で届けろと言われた。接写用の小さな中間リングを一つ持って京都へ行った。社長に手渡すとそれで仕事は終わり、小遣いをくれて遊んで帰れと言われた。行きたいところがあるかと聞かれ、詩仙堂と答えた。詩仙堂の近くには立命館大学へ通う年下の友人が下宿していて、彼とはたまに文通して記憶力が良かったその頃の私は住所を暗記していた。詩仙堂を出て人に聞きながら、一条寺下がり松近くの田中博文の下宿を探し当てた。だが田中君はいなかった。下宿の住人らしき学生が同じ名前の下宿があちらにもありますよと教えてくれて、ちょっと離れたそちらの下宿へ向かって歩いていると、背後から聞きなれた声が私の名前を読んで追いかけてきた。田中君の下宿に一時同居していた津田裕人だった。最初の下宿に戻って田中君と会った。ふたりとも金がなくてコッペパンしか食べていないという。3人で街へ出て、ふたりがよく行くと言うカレーを食べさせるジャズ喫茶に行った。もう46年前になる。津田は翌年に亡くなったし、田中君も5年前に亡くなった。
 車谷長吉加藤周一詩仙堂から旧友田中博文と津田裕人を思い出した。

 

文士の生魑魅

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