「ドナルド・キーン自伝」(中公文庫)がとても良かった。ドナルド・キーンは9歳の時、貿易の仕事をしていた父親に無理を言ってヨーロッパへの出張に連れて行ってもらった。フランスで英語が通じない経験をして、外国語を学ばなければいけないことに気づいた。
コロンビア大学で中国人と知り合って中国語を少し学び、偶然立ち寄った本屋でアーサー・ウェイリー訳の「源氏物語」に出会い、それに心を奪われた。その後角田柳作について日本思想史を学んだ。
日本軍の真珠湾攻撃で太平洋戦争が始まり、海軍の日本語学校で翻訳と通訳の候補生を養成しているのを知って応募した。面接の結果は合格だった。こうして後の優れた日本語学者が誕生することになった。
戦場に駆り出されて、戦死した日本兵の日記などを解読する仕事を始めた。それらの日記は「時に堪えられないほど感動的で、一兵士の最期の日々の苦悩が記録されていた。」
1945年4月1日に沖縄に上陸し、その後多くの捕虜を捕まえて尋問した。沖縄で数カ月を過ごし、いたるところで腐乱した死体の匂いを嗅いだ。
終戦後、中国で戦争犯罪人の取り調べを担当させられ、それが嫌で帰国を申請した。上海から帰国の途中、勝手に東京に回った。
(東京で)アメリカ兵と日本人の女が悲しみに暮れながら別れを惜しんでいる姿を見かけたこともあった。日本人がアメリカ人に、あるいはアメリカ人が日本人に抱く憎しみのかけらさえ、私は感じたことがなかった。辛い戦争が終わって、まだ4カ月かそこらしか経っていないのだった。どうすれば人間の気持が、こんなにも早く変わってしまうことが可能なのだろうか、私は不思議だった。たぶん友情が人間同士の抱く普通の感情で、戦争はただの逸脱に過ぎないのだろう。
戦後キーンはハーヴァード大学で日本語を学んだ。ついでケンブリッジ大学への奨学金を手に入れ、ケンブリッジでは「源氏物語」の訳者ウェイリーと知り合うことができた。ロンドンではオペラを堪能した。
この時期に見た最高の素晴らしい公演を3つ選ぶとしたら、1つは間違いなくこの(ボリス・クリストフの)「ボリス・ゴドノフ」である。(中略)もう1つは、リューバ・ヴェリッチの「サロメ」である。(中略)そして最期に挙げるべきは、私のオペラ観劇の経験すべての中で最高の舞台−−マリア・カラスの「ノルマ」である。この時の公演は、レコードになっている。
キーンは英国に5年間住んだ後コロンビア大学に戻り、財団から研究奨学金を得て日本へ行くことになった。初め京都に住み、偶然永井道雄と友人になり、永井の紹介で中央公論社の社長嶋中鵬二と知り合った。そして嶋中から多くの作家を紹介されることになる。吉田健一や永井荷風、川端康成、谷崎潤一郎、石川淳、大江健三郎、安部公房など。特に三島由紀夫とは終生の親友になった。
キーンは日本で数々の文学賞を受賞している。2008年には文化勲章も受章している。文化功労者にも選ばれているから、年金が300万円下りているはずだ。人ごとながらとても嬉しい。
淡々と語られる自伝なのだが、読んでいて感動している自分がいた。ドナルド・キーンという人の人間性、心、感情がそうさせるのだろう。良い自伝を読んだのだった。
- 作者: ドナルドキーン,Donald Keene,角地幸男
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2011/02/01
- メディア: 文庫
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