ドナルド・キーン『思い出の作家たち』を読む

 ドナルド・キーン『思い出の作家たち』(新潮文庫)を読む。谷崎潤一郎川端康成三島由紀夫安部公房司馬遼太郎の5人の作家の想い出を取り上げている。いずれの作家に向ける眼も暖かい。

 谷崎の作品を、他の主要な現代日本の諸作家の作品から際立たせる最も顕著な特徴は、書くことそのものへの専心にあるだろう。彼の小説は告白的でなく、いかなる哲学も主張せず、倫理的でも政治的でもないが、文体の大家の手で豪華なほど精緻に作られている。人生いかに生きるべきかの知恵や、現代日本の罪悪に関する鋭敏な分析などを求めて谷崎を読む者は一人もいない。文学なればこその喜びや、人間にとっての永遠普遍な事象の反映(それは谷崎の最も風変わりな作品にさえ見出し得るものだ)を求める読者にとって、谷崎を越える作家を発見することはまずもって不可能だろう。

 ノーベル賞は川端に与えられたが、谷崎がもう数年生きていたら、日本人最初のノーベル文学賞受賞者は谷崎だったかもしれない。キーンは三島と親しく、また三島の才能を高く買っていたので三島の受賞を望んでいた。「あの時、三島が受賞を逃したことで私の失望は相当なものだったと告白する」とキーンは書く。

 この二人の偉大な作家(三島と川端)の死を悼みつつも、三島より、さらには谷崎より、川端を日本人最初のノーベル賞に値するとした委員会の選択は、理由はともあれ賢明なものであったと、今の私は信じている。

 安部公房ノーベル文学賞に最も近い作家だと自他ともに期待していた。私も結構好きでその作品もほとんど読んできたが、晩年の『方舟さくら丸』も『カンガルー・ノート』もついに読みたいと思わなかった。『カンガルー・ノート』はキーン以外に誰も褒めなかったらしい。
 司馬遼太郎について、キーンは「私は司馬の著作を高く評価しているが、小説家としてよりも、素晴らしい人間としての司馬が、私の記憶の中では、よりはっきりと生きている」と書く。私も司馬の小説はほとんど読んでこなかったが、『街道をゆく』シリーズは愛読したのだった。
 ここに取り上げられた5人の作家たちについて、司馬を除いてほとんどの作品を読んできたと思う。若い頃好きだったのは川端だったが、中年以降も繰り返し読んだのは彼らではなく大江健三郎だった。5人のうちでもう一度読み返したいと思うのは川端だろうか。

 

 

 

思い出の作家たちーー谷崎・川端・三島・安部・司馬 (新潮文庫)

思い出の作家たちーー谷崎・川端・三島・安部・司馬 (新潮文庫)