小谷野敦『文章読本X』を読む

 小谷野敦文章読本X』(中央公論新社)を読む。何種もある文章読本のうち、斎藤美奈子がそれらを揶揄して書いた『文章読本さん江』以後、再びこのテーマで書く作家が現れるとは思わなかった。でも小谷野の本はおもしろく、成功していると思った。
 小谷野は先人たちの文章を取り上げる。まず有吉佐和子が厳しく批判されている。

 私が有吉の作品を読んで、文章が純文学だと思ったのは『華岡青洲の妻』くらいである。ほか『和宮様御留』などもまだいいが、『恍惚の人』『紀ノ川』『出雲の阿国』などは、何とも通俗で通読に耐えなかった。それがまた、ほかの大衆作家と言われる人たちに比べても、耐えがたいのである。海音寺潮五郎などの歴史作家はもちろん、石川達三などは読めるが、有吉のものは読めない。

 歴史作家では山岡荘八が批判される。

 歴史作家の中で、飛びぬけて文章がひどいのは、山岡荘八である。私はあの長大な『徳川家康』を、大河ドラマになった時も読まずにいたが、何度か山岡に触れた文章を書くうち、一応目を通しておこうと思い、第1巻から読み始めて、あまりの悪文ぶりに驚いた。文章や書きぶりにまるで格調がない。

 隆慶一郎白井喬二も文章がひどいと批判される。そして巧い作家の名前が挙げられる。

 これら(隆、白井)からすると、直木三十五がいかに斬新だったかが分かるし、吉川(英治)、海音寺潮五郎司馬遼太郎が、いかに巧いか分かるのである。海音寺は、直木賞の銓衡委員をしていて、池波正太郎を認めなかったが、実は池波にも、俗臭が漂うようなところがないではない。
 司馬遼太郎の文章は、やはりうまい。最近、江藤新平を描いた『歳月』を読んだが、「司馬のあとに司馬なし」の感を強くした。

 現代日本の通俗作家では、赤川次郎の文章には欠点がないとされる。そのほか谷崎潤一郎の文章や大江健三郎川端康成三島由紀夫などについて具体的な例をあげて評価している。
 170ぺージ未満とわりあい短く、また面白かったので1日で読んでしまった。良い文章の書き方よりも、悪文の見本が具体的に示されていて参考になった気がする。でもそういう実用的な事柄よりもとにかく面白く読んだのだった。


文章読本X

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