江藤淳『石原慎太郎・大江健三郎』を読む

 江藤淳石原慎太郎大江健三郎』(中公文庫)を読む。江藤が石原と大江について書いたのをまとめたもので、文庫オリジナルとうたっている。とはいえ、石原への言及が多く、大江に関しては初期に高く評価したものの、『万延元年のフットボール』あたりから取り上げることはなくなった。

 石原に関しては悪文とか文法的に正しくないとか繰り返し指摘しながら、根本的にはその文学を肯定している。いやむしろ高く評価している。

 大江について書かれた部分が読みたくて手に取ったのだが、延々と江藤の石原賛美を読まされることになって苦痛だった。私は石原に関しては初期の作品を1冊か2冊くらいしか読んでない。どうしても石原の作品に魅力を感じることができない。

 しかし、世間は石原が参議院議員に出馬すると300万票の得票で当選させるし、都知事に出馬しても高得票で当選させた。何が石原の魅力なのだろう。おそらく弟の裕次郎の存在が大きいのだろう。慎太郎の後ろに裕次郎を見ているに違いない。

 江藤が大江を論じるのは、1967年の「谷崎賞の二作品 安部公房『友達』と大江健三郎万延元年のフットボール』」が実質最後で、その後は日本経済新聞の1994年10月14日朝刊に掲載されたもので、大江のノーベル賞受賞に関して意見を求められて語った「談話」が本当の最後らしい。その全文を引く。

 

 川端康成氏に続いて、大江さんがノーベル文学賞を受賞されたという知らせに接し、日本にとってまことに重大な社会的事件として慶賀にたえません。一文芸評論家として言えば、過去20年以上、あるいは30年近く、ほとんど大江さんの作品をよく読んでおりませんので、批評家としての意見は後日ゆっくり拝見した上で申し述べます。

 

 私も石原の作品は、過去50年近く読んでいないが、私は単なる読書家に過ぎない。江藤は一応日本を代表する文学評論家なのだから、そんな〇の穴の小さい態度はいけなかったと思う。その後、江藤は大江の作品に触れることなく、病没した夫人の後を追って自死してしまった。夫人の生前はDVだったというのに。