大江健三郎『親密な手紙』を読む

 大江健三郎『親密な手紙』(岩波新書)を読む。雑誌『図書』に2010年から2013年まで連載されたエッセイをまとめたもの。『図書』の1ページだけのエッセイだった。短いものなのであまり複雑な内容は期待できない。しかし久しぶりの大江健三郎の新刊でそれなりに楽しめた。

 大岡昇平が大江の住む成城に越してきた。毎日自転車で買い物に出かける大江は、いつどこで大岡に出会うかと緊張した。大岡が電話をかけてくると、常に待ち構えていた息子の光が受話器を取った。

 

大岡さんは、(……)電話を取って私と替る前の光と、短い会話を欠かされなかった。ある日、急な入院をする、と電話があり、その後で光が、――大岡先生の声が、一音低いんですよ! と訴えた。翌日先生は亡くなられた。

 

 大江の東大での優秀だった同級生海老坂武が『戦後文学は生きている』(講談社現代新書)で、大江の著書について取り上げていると紹介している。

 

 海老坂は、そこに私の作品としては『万延元年のフットボール』を取り上げている。発表されてすぐに読み「どちらかというと低い評価」をして再読もせぬままで来たが、いま改めて読んで評価を改めたという。私の小説すべてを読んでくれているらしい友人の批評は、幾重にも胸にしみる。「その後のほとんどの小説は明らかに『万延元年』の続き、あるいは書き直しをしながらの続きです。いや、正確に言えば書き直しではなく、メルロ=ポンティの言葉を使って〈取り戻し〉(reprise)と言いましょう。」

 私はいま、おそらく最終の作品を書いているが、まさに自己の過去の作品の〈取り戻し〉、過去の作品が要求するものへの〈応答〉をしているのだと思った。

 

 おそらく1冊にまとめるためには原稿量が少なかったので、もう1章書き下ろしてからまとめようと思っていたのだろう。それが亡くなってもう追加することができなくなったので、1行の文字数を少なくし、項目ごとに改ページするなどゆったり組むことによって今回の発行に至ったのだろう。

 いずれにしろ大江健三郎の新刊が読めて嬉しかった。