牧野信一『ゼーロン・淡雪』(岩波文庫)を読む。大江健三郎と古井由吉が対談『文学の淵を渡る』(新潮文庫)で牧野を絶賛していたので、牧野の短篇小説「西瓜喰ふ人」を読んだらこれがよくできていた。それで本書を読んだ。
牧野は明治29年に生まれて昭和11年に自死している。本書は昭和に入ってからの短篇10篇とエッセイ3篇が収録されている。
「吊籠と月光と」(昭和5年)
「ゼーロン」(昭和6年)
「酒盗人」(昭和7年)
「鬼の門」(昭和7年)
「泉岳寺附近」(昭和7年)
「天狗洞食客記」(昭和8年)
「夜見の巻」(昭和8年)
「繰舟で往く家」(昭和10年)
「鬼涙村」(昭和9年)
「淡雪」(昭和10年)
他にエッセイ3篇
「文学とは何ぞや」(昭和7年)
「気ちがい師匠」(昭和10年)
「文学的自叙伝」(昭和10年)
「西瓜喰ふ人」は、小説を書いている瀧という男を「余」が観察しているとなっているが、二人は同一人物だったという、昭和初期に書かれたとは思えないほどのモダニズム文学であったが、本書に収録されている短篇作品はそれほど評価できるものはなかった。
解説の堀切直人によれば、初期に私小説を書いていたが、昭和2年~7年ころは幻想小説を書き、晩年の作品では、「作者の自己喪失感、零落感はさらにいっそう深まり、行きつくところまで行った感がある」と書く。
牧野信一はもういいやと思ったのだった。