中央公論新社 編『対談 日本の文学 作家の肖像』を読む

 中央公論新社 編『対談 日本の文学 作家の肖像』(中公文庫)を読む。1960年代の後半に中央公論社から『日本の文学』全80巻が刊行された。その月報の対談を編集したもの、全3巻の最終巻。25篇が収録されている。この巻が一番面白かった。

 柳田国男折口信夫斎藤茂吉大岡昇平大江健三郎が語っている。柳田・折口・茂吉というのは変な組み合わせだと思ったら、関川夏央が解説でそのあたりのことを種明かししている。中央公論社の最初の企画では松本清張が入っていた。それに対して編集委員三島由紀夫が強硬に反対した。中央公論社ではベストセラー作家の松本清張を入れたかった。しかし三島は松本を入れるなら編集委員を降りる、自分の作品も取り下げるとまで主張した。そんな経緯から柳田・折口・茂吉という変則的な1巻になったのだという。

 この企画はよく売れて、全80巻が1冊平均20万部出たという。合計1600万部、これは驚くべき数字だ。

 泉鏡花について三島と澁澤龍彦との対談。

三島由紀夫  (……)志賀直哉の文体がいいと言われ、一部の田舎者の文学青年が、やたら尊敬しちゃった。それは悪い文体じゃない。だけど日本的なものがどんなに削られてしまったか。日本が、いかに誤解されるかということだね。しかし、明治から以後は、鏡花もそうだけれど、田舎者が文学の中心を占めて、田舎者の文学を押しつけてきた。田舎者が官僚になれば明治官僚になり、文学者になると自然主義文学者になり、その続きが今度はフランス文学なんかやっているんですよ。

 

 藤村の「夜明け前」をめぐって臼井吉見野間宏が対談している。

臼井吉見  (……)藤村の文学を作っていく根本には、僕は国学より漢学のほうが働いているんじゃないかと思うのですよ。それを意識しているかどうかは別として。明治を一貫しているものは、僕は漢学と侍だと思う。国学をやった連中はだめですよ。ものを論理的に考えるという訓練は、漢学が養ったものですね。だから明治の文化の先駆者になったものは、キリスト教にしても社会主義にしても、下地はみんな漢学ですよ。漢学で訓練された頭脳が、初めて」キリスト教社会主義もちゃんと受け入れ、つかんでいる。漢学というものの訓練は非常に合理的なものだったと思うのですよ。国学はなにも生まなかったと思うのです。

 

 「三人の詩人――白秋・光太郎・朔太郎」では伊藤整と伊藤信吉が語っている。

伊藤信吉  (……)わたしは、日本の詩人で明治以降、自己の思想を明確に形成したのは、石川啄木萩原朔太郎だと思うのです。啄木の場合は一種の唯物論ですね。萩原さんのは明確な観念論で、それはショーペンハウエルニーチェからきていますね。(中略)

よく思想史の本が出ますけれど、萩原さんは当然論じられていい人だと思います。観念論者としてあれだけ強烈な思想を持った人は、日本の文化人の中にも少ないのじゃないかと思いますね。ニヒリズムの系譜について考えるとすれば、武林夢想庵、辻潤萩原朔太郎、それにややはずれて生田春月、そのあとへ金子光晴さんあたりが思想のタイプはちがうけれども、ニヒルという面では共通性を持って出てくると思います。日本の近代思想史では、ずいぶんだいじなことだと思います。

 

 「柳田学・折口学・茂吉短歌」を大岡昇平大江健三郎が論じている。

大岡昇平  (……)あなたの「万延元年のフットボール」の御霊というのは、あれは折口さんから……。

大江健三郎  はい、そして柳田国男です。気が狂って森に入っていく女が、妊娠したあとが多いという「山の人生」の話と、「一目小僧その他」の、片目が悪くなっているのが御霊になるという……。豊島与志雄の「水瓶」を読むと、参った男が最後に、酔っぱらって水瓶を頭の上にかぶって、静かだと安心するというのがありますね。あれはフロイド的に解釈するより、「うつぼ舟」的に解釈した方がいいのではないでしょうか。

 

 さて、現代でも主要な文学者をテーマに対談を行って、それを雑誌に連載してくれるところがないだろうか。対談という気楽な場で思いがけない発言が聞かれるのが面白い。