作家の仕事と生活や性格との関係

 最近清貧の生活をおくっている画家の絵が話題になっている(id:mmpolo:20121229)。作家の生活の貧しさや人柄の良さが作品の質を担保するだろうか。貧しい画家は全国に5万人どころか50万人は下らないだろう。そのほとんどが貧しい絵を描いているに過ぎないのではないか。どんなに貧しくてもそれだけで良い絵が描けるわけではない。逆に王侯貴族の生活をしていても優れた絵描きの例はある。
 徽宗北宋の第8代皇帝で優れた画家だった。酒井抱一姫路藩主酒井忠仰の次男で優れた琳派の画家だった。
 安田靫彦前田青邨と並ぶ歴史画の大家だったが、針生一郎によれば性格の悪い男だった。しかし優れた画家だったことは間違いない。トルーマン・カポーティは『冷血』や『ティファニーで朝食を』の作家として高い評価を得ているが、ドナルド・キーンによれば不快な男だった。ドナルド・キーン『声の残り』(朝日文芸文庫)より、

 ニューヨーク滞在中、たったひとつ淋しい思いをしたのは、歌舞伎が見られないことだった、と三島(由紀夫)はある時書いて来たが、その実1957年の滞在は、彼にとって淋しく、またむなしいものだったのにちがいない。(中略)同じ年の春、東京で三島に歓待されたトルーマン・カポーティは、ニューヨークに来た三島に、頭から会おうともしなかった。これを聞いても、私は、さもありなん、と思っただけで、別に驚きはしなかった。というのは、カポーティという男は、私がそれまでに会った人物のうちで、最も不快、かつ信用出来ない人間の一人だったからだ。

 フランスの作家で詩人のルイ・アラゴンは、シュールレアリストでのちに共産主義に転じたが、ボーヴォワールによると、これまた悪意のある男だった。しかし、カポーティアラゴンも文学的には高く評価されている。
 性格に対する評価が作品に対する評価と無関係であることがよく分かるエピソードだ。凡庸な作品を作る人格者より優れた仕事をする悪人の方を評価したい。盗みを繰り返すジャン・ジュネは、正直者の・・・よりはるかに評価されているのだ。


声の残り―私の文壇交遊録 (朝日文芸文庫)

声の残り―私の文壇交遊録 (朝日文芸文庫)