ドナルド・キーン『日本文学史』を読む

 ドナルド・キーン『日本文学史 近代・現代篇6』(中公文庫)を読む。原著は英文で、徳岡孝夫と角地幸男が訳したもの。本書は「戦後文学」「女流の復権」「三島由紀夫」の3章からなっている。
 まず「戦後文学」では、『近代文学』と『新日本文学』、野間宏椎名麟三、正統左翼の文学、マチネ・ポエティック(加藤周一中村真一郎福永武彦)が取り上げられる。
 野間宏について、キーンは書く。

 野間は恐らく、いわゆる戦後作家と言われる人々の中でもっとも重要な人物である。(中略)野間の今日に至る名声は、新しい文体の創始者としてではなくて、戦前の抑圧や戦時中の恐怖を経て、戦後初めて自由にものが言えるようになった不幸な知識人世代の代弁者としてのものだった。野間の作品を楽しむのが目的で手にとる読者を想像することは困難なことだが、もともと読者を楽しませるなどということは、間違っても野間の意図するところではなかった。

 正統左翼の文学では中野重治が最も重要視されているようだが、これは妥当なことだろう。
 マチネ・ポエティックの3人の作家のうち、中村真一郎について、

一時、神経症のため創作活動から遠ざかっていた中村は、徳川時代後期の漢詩の研究に打ちこむようになり、『頼山陽とその時代』(1971年)を始めとするその方面での感銘深い学問的業績の幾つかを発表するまでに至った。

と書かれる。福永武彦については、

……福永の作品は、短命だった堀(辰雄)の仕事を受け継いだものと言っていい。『風のかたみ』(1968年)は平安時代を舞台にした物語の連作であるが、中村(真一郎)のそれにやや似ているとは言え、技巧的には遙かに優れている。福永の作品の中でもっとも長く、また恐らく最高の傑作と言える『死の島』(1971年)は、より一層、物語作者としての福永の天分を、あますところなく示している。

「女流の復権」の章では、野上弥生子岡本かの子宇野千代林芙美子宮本百合子佐多稲子平林たい子が取り上げられる。岡本かの子に対して、「彼女は決して一流ではないが忘れがたい作家だったということである」と評される。宇野千代に対する評価、

 宇野は、ただ一点を除くすべての点で一流の作家とは言いがたいが、しかし、その極めて重要な一点、すなわち作品の質という点から見れば、現代日本文学のもっとも重要な女性作家数人の中に入る。

 林芙美子に対しては「かりに林が『晩菊』以外に何も書かなかったとしても、この一篇だけで林の名声は揺るぎのないものとなったはずである」と評される。
 宮本百合子を語って、湯浅芳子との同性愛に触れないのはキーンが紳士だからであろうか。
 佐多稲子は戦前から戦後まで一貫してプロレタリア文学の側にいた。私は佐多のあまり政治的でない作品の、それも一部しか読んでこなかったが、『夏の栞』は傑作だし、『時に佇つ』『私の東京地図』は優れたものだった。
 三島由紀夫には本書の1/3が当てられている。最も重要な作家という位置づけだ。キーンは三島の親しい友人だった。そのためもあって、三島に対する理解力は相当深い。そして詳しい作品分析が綴られる。

学習院の『輔仁会雑誌』に発表された『抒情詩抄』は立原道造の影の濃いものだが、三島の抒情詩には一つとして立原の感情の凝縮力に近づき得たものがない。それはおそらく、三島が非情に自意識の強い人間でありながらも、抒情詩人になくてはならぬ他者への共感、少なくとも一人の人間との通いあう心を持っていなかったからであろう。

と、驚くべきことがさりげなく書かれている。

三島にとって天皇とは、日本文化の抽象的な本質であって、昭和天皇を含め個々の天皇に対してはそれほど尊崇の念を寄せていなかったからである。三島作品の中で天皇崇拝をもっとも明瞭に書いた『英霊の声』においてさえ、神風特攻隊員の霊は天皇が人間であればわが死は無意味になると、天皇の神性放棄を弾劾する。三島の政治観は、時とともにますます抽象化し、ついには彼の美学の延長と化すのである。

 三島の『金閣寺』に対する評価は圧倒的に高い。

 死の直前に書かれた『豊饒の海』4部作はおそらく唯一の例外だろうが、三島文学の中でもその洞察の深さとみごとな筆致・構成を二つながらに成就した点で『金閣寺』の右に出る作品はない。

 最後に、三島を総括するようにキーンは書く。

 戦後日本に登場した作家の中で、三島は、その天賦の才においても、とげ得た業績においても、最高の人物であった。彼が残した膨大な量の作品を通読してもなお、今世紀の揺るぎない文豪としての三島の地位に疑問を抱く人はいるかもしれないが、いかなる日本人よりも文豪の域に近いことは論議の余地がないだろう。

 なぜ三島が市ヶ谷の防衛庁で割腹自殺をしたのか、本書を読んで初めてその理由を知ることができた。キーンは本当に親しく三島に付き合い、三島を深く理解していたことがよくわかった。
 キーンの日本文学に対する優れた理解力が納得できた。この『日本文学史』シリーズは本書を含め全12巻からなっているらしい。読む楽しみが続く。
 本書を読んでいて、加藤周一の文体を思い出した。明晰で論理的な加藤の文体とキーンのそれがよく似ているのだ。もちろんキーンが加藤の影響を受けたなどということはなくて、加藤がドイツ、カナダでの生活を通じて欧米の明晰な文体や論理を身につけたということだったのだろう。加藤周一の文体は欧米のものだったのだ。

日本文学史 - 近代・現代篇六 (中公文庫)

日本文学史 - 近代・現代篇六 (中公文庫)