野坂昭如『文壇』を読む

 野坂昭如『文壇』(文藝春秋)を読む。雑誌『文学界』の2001年〜2002年に連載したもの。野坂の「文壇」へのデビューから直木賞を受賞し流行作家になったころまでを書き綴っている。
 昭和戯文体とも言われる助詞や句点を省く野坂独自の文章は、本書ではきわめて読みにくい。ほとんど描写がなく名詞それも固有名詞の羅列で進んでいく。これはまるでメモ帳を読まされているみたいで苦痛だ。
 それが『エロ事師』を書いた頃から変ってくる。メモの内容が面白くなってくる。野坂の存在そのものの面白さと、野坂の視点の面白さだ。

 吉行(淳之介)と銀座「葡萄屋」で飲む。「かの有名なプレイボーイだよ」ホステスに紹介、彼女は意味が判らず、「プレイボーイをなさってるんですか」しばらくして、「プレイボーイってどんなことをなさるの?」。吉行が、「気をつけなきゃいかんよ、そばに寄るだけで妊娠する」。ホステスは真顔で、体を遠ざけた。

 そういえば、精子って太ももに付いただけで這い上がって妊娠するから気をつけなきゃいけないと教えていた教師が何人もいたらしい。このホステスを笑えない。

「文壇」とは何なのだ。(中略)「画壇」「楽壇」について無知、「文壇」は意識して、文学の神様横光利一、大体読んでいた。戦後の凋落が不思議、その全集、昭和26年早稲田古本屋で400円。猥褻文書疑惑「チャタレイ夫人の恋人上・下」千円。別格が、志賀直哉。文壇となると菊池寛が浮かんだ。「壇」ときけば雛飾りを思い浮かべ、最上段に、当時の知識としては、菊池、吉屋信子、つづいて川端(康成)、丹羽(文雄)、舟橋(聖一)、大佛(次郎)、小島政二郎あたり、田村泰次郎井上友一郎、また野間(宏)、椎名(麟三)、梅崎(春生)、三島(由紀夫)、藤原審爾、船山馨はどうなるのか。

 当時文壇の大御所とか高いところに並んでいた作家たちの多くは現在凋落しほとんど読まれなくなっているのではないか。吉屋信子がこんなに評価されていたとは驚いた。ここに挙げられた15人のうち、いまでも評価されているのは、川端、野間、三島くらいではないか。その三島について、野坂が書く。

 熊谷(幸吉)は近刊の三島「豊饒の海」第1部「春の雪」を読み、お伽話みたいといっていた。ぼくは三島がマスターベーションにおいてすがる妄想を思い浮かべた。
 この何年か、三島が話題になるのは、芝居を除いて、ボディビル、剣道でスポーツ欄、楯の会なら社会面、「憂国」は芸能欄だった。久々の、作者満を持した作品らしいが、4部作のうちの初めとあってか、時評にとりあげられず、酒場で、その突拍子もないふるまいについては、少し冷やかしていた向きも、いっさい触れない。敗戦直後、三島の名を知り、天才と認めた、以後「金閣寺」までまず読んでいた。「夏子の冒険」、「美徳のよろめき」、「美しい星」、「永すぎた春」がおもしろかった。何となく遠ざかり、久々の見参、精力枯れたことを自覚の男が、必死に妄想かきたて、苛立ち、絶望を隠すための、これみよがしに華麗な文体、「荒野にて」の青年を連想した。にしても、全体の4分の1といっても、いちおう完結している、文壇の無視は気の毒。裏切られつづけている。……

 野坂が雑文を書き、テレビやラジオで活躍していた最初の頃、銀座で飲んでいたことを綴っていた。

 ここ(文春クラブ)で下地を作り、銀座へ繰り出すのが恒例らしい。神戸育ちにしては、焼けるまでの銀座を少し知っている、「天国」「よし田」「オリンピック」「資生堂パーラー」。戦後、25年から住んだが、敬遠。民放時代、高級キャバレー「クラウン」、太宰、織田作の写真に惹かれ「ルパン」くらい。

 懐かしい、このクラウンの姉妹店「メイフラワー」で私も一時働いていたことがあった。ポーター兼エレベーターボーイだった。金モールのついた将校服を着せられ、銀座2丁目の中央通りに立って道行く人にしっかり姿を見られていた。目の前に毎晩バスで米兵が通ってくる大きなキャバレー、ニュークインビーがあり、それは現在銀座メルサに変わっている。もう47年前のことになる。
 本書における人物名の数は膨大なものになる。メモなしでこんなに詳しく書けるのなら、野坂の記憶力はハンパなのものではない。せめて人名索引を作ってほしかった。


文壇 (文春文庫)

文壇 (文春文庫)