安岡章太郎『文士の友情』を読む

 安岡章太郎『文士の友情』(新潮社)を読む。副題が「吉行淳之介の事など」で、吉行ファンとしては読まずばいられない。何しろ吉行の愛人でかつ『暗室』のモデルを自称する大塚英子の『「暗室」のなかで−吉行淳之介と私が隠れた深い穴』(河出書房新社)というゴミ本まで読んでいるのだから。いや「ゴミ」本と書いたのは控えめな形容なのだ。本当は漢字1字で形容したかったのだが。
 本書は安岡章太郎が亡くなってから、いままで単行本未収録だったエッセイを集めて出版したという。副題のように吉行の思い出が1/3を占めている。最初に吉行の村上春樹評が紹介される。

……吉行は自分の方から、「どうもこの頃の文壇は新興芸術派が売り出した頃と似てきたようだな」と、意外なことを言い出した。−−それはどういうことだ、と訊くと、吉行は言った。
「まず村上春樹、さしあたりあの男が昭和初期の龍胆寺雄さ」
 なるほど、そう言われてみると、村上春樹は平成の龍胆寺雄かもしれない。題材やコトバの目新しさに工夫をこらし、それをセーリング・ポイントに読者を大量に掴むところなどは、たしかに似ているし、また村上氏が空っぽの井戸の底に一人でもぐって空を見上げながら、歴史に想いをいたすなどと言い出すところなんかは龍胆寺氏の小説に通じ合う要素がある。(中略)
 しかし、吉行が続けてこう言ったのには、少なからず本気で驚いた。「村上が龍胆寺なら、島田雅彦吉行エイスケさ」
 じつは私は、吉行エイスケさの作品はほとんど読んでいないから、なぜ島田雅彦吉行エイスケなのか、理由は分からない。ただ、最後まで読み通せない文章を書くという点で、吉行にとって雅彦は平成のエイスケなのだと解釈すると吹き出した。

 安岡がこれを書いたのが1997年。吉行エイスケは淳之助の父親で新興芸術派の作家だった。
 吉行淳之介が1994年7月に亡くなった。その時安岡は敗血症で入院していて、葬儀は欠席した。そして病室で、吉行の芥川賞受賞の祝いに結核で入院していた清瀬の病院を訪ねたときのことを思い出していた。入院患者でありながら、吉行は体調頗る好適の様子で、見た目には何ともマズそうな鯖の味噌煮の病院の昼飯を、へんな恰好に握った箸を巧みに操りながら、不平がましいことは一言もいわず、むしろ健啖そうに平らげていた。

 ……そんな吉行のことを考えると、いまこの時刻に遺体となった吉行の前で、線香が細い糸のような煙を上げている光景なぞ、想像してみようにも、その気になれない心持ちだった。
 友達が死んで淋しくなるのは、吉行に限らず、三月、半年とたって、その死を全く忘れた頃、青空の下で川べりのすすきの原でも眺めながら歩いているようなとき、突如として思い浮かんでくるのではあるまいか。

 吉行の事は以上。
 さて、正宗白鳥生誕百年を記念して催された講演会で、Boys, be ambitiousの言葉で知られるクラーク博士の年俸(明治8,9年の頃)が、現在の金額で7千万円か8千万円にあたると紹介している。月収に換算したら600万円前後だ。ふうっ……
 その正宗白鳥に関しては、

 正宗さんの故郷は備前市というところだそうですけれど、ぼくは行ったことありません。ここを舞台にとった短篇を、若い頃、幾つか書いておられる。その中に『入江のほとり』というのがありますけれど、これは、読んだことがない方は、家へ帰ったらぜひ読んでみて下さい。ぼくが説明するよりか、読んでみればすぐ判るというか、非常にいいということがお判りになるでしょう。

 そう言われたら読まないわけにはいかないだろう。探したら、講談社文芸文庫から『何処へ・入江のほとり』として発行されていた。こんど読んでみよう。



 

文士の友情: 吉行淳之介の事など

文士の友情: 吉行淳之介の事など

何処へ・入江のほとり (講談社文芸文庫)

何処へ・入江のほとり (講談社文芸文庫)