講談社文芸文庫編『個人全集月報集』を読む

 講談社文芸文庫編『個人全集月報集』(講談社文芸文庫)を読む。副題が「安岡章太郎全集 吉行淳之介全集 庄野潤三全集」となっていて、この3人の全集に付けられた付録の月報の文章を集めたもの。こんな風に月報がまとめられることは少ないのでとてもありがたい。
 さすがに実力派の3人の作家の月報だけあって、錚々たる作家たちが書いている。まあ、パーティーの祝辞の趣もあるので、少々盛っている気味はある。その仲間たちの文章を読んでいると、吉行の分だけが際立って華がある。吉行が書いているのではないのに、活気があって面白いのだ。比べると安岡も地味だし、庄野に至っては個人的に書くエピソードがないようにさえ感じられる。付き合って面白い人ではなかったのではないかと邪推したくなる。
 私は吉行はほとんどを読んできたが、庄野に対してはほとんどを読んでこなかった。安岡も読んだのはごく一部の作品だけで、それも昔読んだだけだった。先日やっと庄野の弟子筋に当たる阪田寛夫の『庄野潤三ノート』(講談社文芸文庫)を読んだばかりだった。
 本書は2012年に第1刷が発行されている。調べてみたら私はその時読んでいたが、気づかずまた読み直してしまった。
 吉行の項で瀬戸内晴美が書いている。

 はじめて吉行さんにお逢いしたのは新宿であった。数えてみればもう20年近い昔である。新思潮の同人で村上兵衛さんと当時小学館に勤めていた野島良治さんと歩いていた時、どこかのバーでばったり逢って、紹介してもらった。もう吉行さんは颯爽とした新進作家で、その美しさダンディさは匂うようであった。(当時、瀬戸内は近代文学の人たちの講演会を見て何れ劣らぬダンディなハンサムぶりにど肝をぬかれたと書き)男の作家というのは姿形も美しいものなのだなあと、つくづく感心してしまった。それから間もない時に吉行さんにお逢いしたのだから、私はまたまたその美しさに圧倒されてしまい、吉行さんの一挙手一投足に目を奪われていた。

 吉行の美しさとかダンディぶりは男の作家も書いている。ちょっと憧れてしまう。現代の男の作家で吉行のように容姿を評価されるのは誰なんだろう。