吉本隆明『日本近代文学の名作』を読む

 吉本隆明『日本近代文学の名作』(毎日新聞社)を読む。日本近代文学の名作24冊を取り上げて、吉本隆明がそれぞれ数ページの解説を加えている。吉本の視力がおぼつかなかった時、毎日新聞の編集者が24篇の「名作文学」を提案し、吉本の口述を編集者が文章化した。

 さすが吉本、短いながらハッとするような指摘が光る。面白かったところを抜き書きする。

 江戸川乱歩『陰獣』の項で、

 

 少し話がそれるが、わたしは島田(荘司)や高村(薫)の複雑で高度な推理作品のいい読者ではない。むしろ、現代物なら、内田康夫が好きだ。浅見光彦シリーズなど、ほとんどすべて読んでいる。一昨年ぐらいまでは、新しいのが出たらすぐに買って読んでいた。あのシリーズにはテレビの水戸黄門と似た楽しさがある。

 

 吉本が内田康夫が好きだなんて驚いた。

 

 『陰獣』という作品の成り立ち方は当然、大正や昭和といった時代と深い関係があると思う。(中略)

 吉野作造や大山郁夫の民本主義にしても、美濃部達吉天皇機関説にしても、作り物が好きだねぇ、という思いを抱いてしまう。それは仮面が好きだねぇというのと同じことだ。天皇というものに「機関」という仮面をかぶらせたのが、天皇機関説だといえそうだ。

 

 吉川英治宮本武蔵』の項で、

 

 ベストセラーの本には必ずどこか、いいところがあると思う。でも、縦には絶対に掘り下げない。縦への深さを作品に求めようとすると、孤立した作者個人になってしまう。横に世界を広げると大勢の読者の共通点に通じる。縦にとことん掘って行くことは純文学にとっては第一義の問題でありうる。だが、大多数の読者からは「そんなことを考えたり感じたりしているのはおまえ一人じゃないか」と言われてしまう。とうていベストセラーになりそうもない。それは一般に純文学の運命に対する自覚だと言ってよい。(中略)

 『宮本武蔵』は大衆の欲求に応えていると思う。大衆の無意識の願望を代弁し、刺激していると言ってもいい。

 

 谷崎潤一郎細雪』の項で、

 

 サルトルが日本に来たとき、テレビに出演して、日本の文芸評論家と語り合っていた。この時、日本の現代文学の作品で何がいいかとたずねられたサルトルが、『細雪』と答えたのが今でも記憶に残っている。

 サルトルはこの時に確か、日本の女性たちがどんなふうに日常生活をしていて、どう生きているのかがよく描かれた小説だと評していた。つまり、この小説には、日本の若い女性の典型的な姿が描かれているという評価だった。サルトルというのはすごいなあ、よく文学がわかっているよなあ、と思ったのを覚えている。

 

 小林秀雄『無常といふ事』の項で、

 

 『無常といふ事』はすべて短章から成っている。小林秀雄は文章をよく推敲して書く人だが、この作品ではそれが一番よく表れていると思う。古典をそのまま今に生き生きと蘇らせる批評家としての手腕は類例がない。ただ、古典の思想を思想として取り出すのは不得手で、あくまで文学、文芸として論じてしまう。それは弱点と言えば言えよう。

 

……小林秀雄は古典への執着を手放さなかった。そのためもあって彼の文学の思想も、次第に閉じられた伝統思想に回帰していったと思う。本居宣長は近世最大の国学者だが、小林秀雄宣長論には、神話を自然とみる宣長に対する異論や、勘だけを武器に古典の解釈を適確にやってのけた宣長の偉大さへの言及がない。

 

 坂口安吾『白痴』の項で、

 

 坂口安吾の『教祖の文学』は戦後に初めて小林秀雄を批判したものだ。悪ふざけを交えながら芯が通っていて、小林秀雄の弱点をついていた。

 坂口安吾は戦争中にも時世に迎合した作品を書かなかった。戦争に反対するわけでもないが、肯定も便乗もしないで距離を置いていたと思う。その意味で、戦争期に西欧的な知識人のあり方を身につけていた人なんだなと思った。『教祖の文学』にはその片鱗がうかがえた。

 

 太宰治『斜陽』の項で、

 

 わたしは中期の『富嶽百景』に集められた作品群を太宰治の中心だとみている。作家的成熟と沈着な文体を併せ持っているからだ。『斜陽』や『人間失格』は、作家自身の安定感のなさ、落ち着かない文体などが、作りものの要素をなくすまで練られていない感じがする。しかし、戦後初めて太宰治の作品に遭遇した読者から見れば、『斜陽』や『人間失格』は興味深い優れた作品ということになると思う。それは中心の置き所によるので、太宰が一番健康で、成熟し始めた中期の短編、中編を中心に置くと、戦後の作品は、自分の解体と破滅感の産物のように思える。

 

 岡本かの子『花は勁し』の項で、

 

 岡本かの子は、日本の文壇史の圏外にあるような人だが、天才的な小説家であったことは間違いない。女性の作家としては、近代日本文学の中で最も優れていると思える。文壇的には傍流のように思われてきたし、今もそうだが、作品の質の高さから言えば、漱石、鴎外といった男性作家と肩を並べられるほどのものを書いている。

 

 岡本かの子に対する高い評価には驚いた。私はかの子を1冊も読んでいない。あんたは女性蔑視だからよと昔のカミさんなら言うだろう。もっとも取り上げられた24冊のうち、女性作家はかの子ひとりだし、それは毎日新聞の編集者の女性観でもあるかもしれない。ちなみに私は24冊中14冊しか読んでいなかった。もう一つ気になったのは、田山花袋以外、私小説作家が取り上げられていないことだ。私もほとんど読んでいないが。