ドナルド・キーン『日本文学史 近世篇二』を読む

 ドナルド・キーン『日本文学史 近世篇二』(中公文庫)を読む。同『〜近世篇一』を読んでから2年も経ってしまった。キーンの日本文学史シリーズは英文で書かれており、英米の読者に向けて日本文学を講義しているもの。キーンは日本の国文学の文献を渉猟し詳しい日本文学史を綴っている。そのため出典を示す膨大な注が付されている。また人名索引と書名索引もきちんと整備されている。索引のない本をキーンは批判しているから。
 日本の研究者の国文学研究をキーンが読み込んで英米の読者向けに再構成している。そのためとても分かりやすい日本文学史になっている。近世篇一では俳諧芭蕉を取り上げていた。本書では井原西鶴近松門左衛門俳諧の中興〜徳川後期の俳諧などが取り上げられている。
 井原西鶴には全体の4分の1が割かれている。キーンは『好色一代男』に続く『好色五人女』を西鶴の大傑作であるという。そのことを野間光辰を引いて、「それぞれの物語が持つ卓越した演劇性によるものだ」という。そして5人の女のストーリーを説明している。ついで『好色一代女』、『本朝二十不孝』、『男色大鑑』、『武家義理物語』、『日本永代蔵』とていねいに内容を紹介し、『日本永代蔵』はデフォーと比較して、「西鶴の文学性の豊かさに驚かずにはいられない。名も特徴もないデフォーの人物に比べて、西鶴の作には血肉を持った男女がひしめいている」と評価する。その後西鶴は一時不振に陥ったように見えるが、『世間胸算用』でまた新しい高みに達すると。
 最後にキーンは西鶴についてこう書いている。

 西鶴は、今日では、日本の小説家の中で2、3位以内に入る偉大な存在としてあがめられている。ヨーロッパの大作家たち、たとえばバルザックディケンズトルストイドストエフスキーらにくらべると、西鶴は、たしかに重量感と人を動かす力において欠けていると言わなければならない。ドストエフスキーはもちろん紫式部にくらべても、作中人物の性格創造の上で、西鶴は一歩を譲る。しかし、彼の平面的な描写法は、今日、距離を置いて眺めると、かえってその手法が持つ美点が引きたち、不思議なほどの現代性をもってわれわれの心に迫る。情景を描いた作家として(それは、ときとして一種の沈鬱さに彩られたものではあるが)、西鶴が一流であることは言をまたない。

 近松門左衛門は劇作家として天才だと称えられる。歌舞伎と浄瑠璃の2分野にまたがる傑出した作家だった。『世継曾我』、『出世景清』、『傾城壬生大念仏』が紹介され、浄瑠璃のために書いた『曾根崎心中』が大当たりをとり、浄瑠璃の世界に心中物という一ジャンルを作った。その構成が詳しく分析される。ついで近松の一番の傑作という『心中天の網島』を書き上げる。時代物では『国性爺合戦』が真の意味で文学的価値を備えているという。
 近松以後の浄瑠璃では3人の合作者による『仮名手本忠臣蔵』が成功作だった。「最盛期にあった浄瑠璃の中でも最高峰に達したものと言えよう」と評される。
 「国学と和歌」の項で、徳川期の和歌はほとんど評価されない。国学者として荷田春満、荷田在満、賀茂真淵本居宣長が取り上げられ、宣長に多くのページが割かれる。「本居宣長は、日本が生んだもっとも偉大な学者の一人、いや、おそらくもっとも偉大な学者であろう」と評される。
 芭蕉後の俳諧が論じられる。与謝蕪村が高く評価され、小林一茶が傑出した俳人と評される。
 訳文は徳岡孝夫、読みやすい。

日本文学史 - 近世篇二 (中公文庫)

日本文学史 - 近世篇二 (中公文庫)