啄木の短歌

 ドナルド・キーンの『日本文学史 近代・現代篇七』(中公文庫)を読んでいた。この「近代・現代篇七」は短歌と俳句が取り上げられている。その石川啄木の章を読んでいて驚いた。

頬(ほ)につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず

 この短歌を初めて読んだのは50年前、高校1年のときだ。手許にある『啄木歌集』(角川文庫)は昭和39年3月38版発行、定價八十圓となっていて、その表3に「1964」と私の筆跡で書いてある。その時以来この短歌を誤読していたことに今回気が付いたのだった。
 この2行目を「涙の ごはず」と読んでいて、「ごはず」って何だろうと思い、多分相撲取りの言葉で「〜でごわす」と同様だろうと考えたのだった。「涙のごわす」も変ではあるのだが。以来この短歌を何度か読んだはずだったが、深く考えることはしなかった。
 今回ドナルド・キーンの本を読んでいて突然これが「涙のごわず」=「涙拭わず」であることに気が付いた。全く何というお粗末な読みだったのだろう。娘に話すと呆れられてさんざんバカにされた。何と言われても反論のしようがない。
 そう言えば以前パソコンで「平等」を入力したのに変換されなかったことがあった。まさかと思い、「びょうどう」と入力したらちゃんと平等と変換された。小学生の時以来ずっと、「ぴょうどう」と読み発音してきたのだった。誰にも指摘されなかったのは、私の発音が悪かったせいだろうか。


※追記
 丸山薫の詩「犬と老人」に次のような会話があった。
「ほう 良い犬でごわすな 高価でごわせうな」
 いや、何それがどうしたって言われるだけだろうけど。