ドナルド・キーン『日本文学史 近代・現代篇一』を読む

 ドナルド・キーン『日本文学史 近代・現代篇一』(中公文庫)を読む。本書は文明開化から明治の漢詩文、翻訳文学、政治小説、逍遙と四迷、硯友社、透谷とロマン派、露伴、一葉、鏡花を扱っている。キーンが英文で書いた日本文学史、つまり英米の読者を対象にしているものだ。日本文学を知らない英米の読者に向けてていねいに書いている。自分の意見の開陳というより、様々に論じられた日本の文芸評論家の意見を取りこんで語っている。記述にはすべて出典を示す注が付されている。
 扱われている作家たちの中では、樋口一葉以外ほとんど読んだことがなかったので、とても勉強になった。坪内逍遙の『小説神髄』の影響力が高く評価されている。「坪内逍遙二葉亭四迷」の項の最後でキーンが書いている。

 坪内逍遙二葉亭四迷は、近代文学創始者として最大の賛辞に値する作家である。二人はいずれも西洋の文学に発想を求めたが、その単なる模倣には満足せず、明治という新時代に忠実な文学を創造しようとした。逍遙は、四迷の中に自分に優る才能を発見したとき、小説の筆を折った。二葉亭はツルゲーネフに同じものを見、同じ反応を示した。それにもかかわらず、二人が残した創作と批評と翻訳は、明治文学の重要な成果となったのみならず、つぎに来るさらに偉大な作品のために道を開いたのであった。

 幸田露伴にも高い評価が与えられる。露伴は私には幸田文の父親という認識しかなかった。父娘ともに優れていた。巨大な祖父・母の存在は才能の乏しい孫には大きな負担なのに違いない。
 樋口一葉の評価もきわめて高い。それは現在も続いていて、昨年から河出書房新社より刊行されている池澤夏樹個人編集の『日本文学全集』第I期には、明治文学として、夏目漱石森鴎外樋口一葉の3人で1巻となっている。明治からはそれ以外誰も取り上げられていない。
 泉鏡花に対して、キーン派「鏡花が書いたのは散文だったが、真に偉大な詩人と呼ぶことができる」と書いている。それでも私は鏡花に興味を持つことができない。
 キーンの日本文学史を少しずつ読み続けていくことは、これでなかなか楽しみなことなのだ。


日本文学史 - 近代・現代篇一 (中公文庫)

日本文学史 - 近代・現代篇一 (中公文庫)