ギャラリーαMの青野文昭展を見る

 ギャラリーαMで青野文昭展が開かれている(3月14日まで)。青野は1968年仙台市生まれ。1992年に国立宮城教育大学大学院美術教育科を修了している。各地での個展のほか、愛知トリエンナーレVOCA展など様々なグループ展に参加している。2013年には、京橋のギャラリイKで個展を開いている。私も2007年のGallery≠Galleryでの個展、2008年と2009年のギャラリー現、2013年のギャラリイKでの個展を見てきた。
 今回青野は壊されたような家具を使って作品を制作している。壊されたような家具と書いたが、破壊されたようなと言ったほうが正確かもしれない。青野の出身地が仙台市であることから、また個展のタイトル「記憶の重ね書き」からも、東日本大震災をテーマにしていることが想像できる。2013年の個展も壊れたテーブルを展示していた。
 青野は書いている。自分は1992年ころから「修復・再生」等をテーマとし、97年ころから身の回りで拾った欠片を「修復・復元」するような作業を続けて今日に至っている。それは「他者」なる別の文脈や時間を、「造形」から排除することなく、共存させていくことはできないかと考えてきた。2000年代に入ってから、さらに「代用・合体」による復元の試みを本格化させてきている。そして2011年の東日本大震災に遭遇し、自分の「身のまわり」が震災遺物にのみ込まれることになった。その一方で、その修復・復元に使われる資材−代用物としては震災から無傷の「身のまわり」の中古家具があてられた。はからずも、傷を負ったものと無傷のもの−二つの異なる「身のまわり」による共存のかたちを紡ぎ出していくことになる。(要旨)
 荒々しい作品を見ていった。奥の方に文庫本を積み重ねた作品があった。「本」は独特の存在感を持っている。独自の意味をと言ってもいいかもしれない。この文庫本の作品から家具の作品を振り返ってみると、荒々しい家具の作品の背後に強い意味が見えてくる。強い意味が立ち現れたとき、造形と対立することになるのではないか。造形が意味を支えきれないことがある。
 昔の記録を見ると、4回見た個展では2009年のギャラリー現が良かったとある。2013年の震災後の久しぶりのギャラリイKでの個展は素材が生々しかった印象がある。造形的には今回のほうが2013年より洗練されていると思う。震災の記憶は極度に強いものがあるのだろう。それを消化してさらに優れた作品を見せてほしい。





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青野文昭展「記憶の重ね書き」
2015年2月14日(土)−3月14日(土)
11:00−19:00
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ギャラリーαM
東京都千代田区東神田1-2-11 アガタ竹澤ビルB1F
電話03-5829-9109
http://www.musabi.ac.jp/gallery/