ドナルド・キーン『日本文学史 近世篇一』を読む

 ドナルド・キーン『日本文学史 近世篇一』(中公文庫)を読む。この巻は、主に俳諧から芭蕉への流れを扱っている。その歴史が的確に整理され記述されていて、浅学の身に大変参考になった。
 初期の俳諧の重要人物として松永貞徳が挙げられている。

貞徳は、(……)半世紀にわたって日本の文学を代表する人物だったのであり、単に俳諧を発展、継承させたという意味だけでなく、日本文学にとってきわめて重要な時期においてその転回点となったという理由により、りっぱに注目に値する作家である。

 貞徳が日本文学に寄せたなによりも大きい功績は、俳諧を一般に認知された詩形式にまで引き上げたことであった。(中略)
 貞徳は、詩人としては生涯ついに一流たりえなかった。彼の作品は現代人にはほとんど読まれることなく、彼の名を知る人さえ寥々たるものである。しかし、日本のあらゆる詩形式の中でもっとも多くの人々に愛されている俳句をいやいやながらに確立した人物として、松永貞徳の名は、日本文学の歴史の中から消えることがないだろう。

 貞徳のあと談林風俳諧が流行し宗因が現れる。宗因の弟子に西鶴がいる。貞門に学び、ついで談林に移ったのが池西言水だった。その句、


 凩(こがらし) の 果 は あ り け り 海 の 音

 これは山口誓子の本歌だった。山口誓子の句、


 海 に 出 て 木 枯 ら し 帰 る と こ ろ な し

 特攻隊の兵士を詠んだものだという。
 芭蕉が現れる前の重要な俳人は、小西来山と上島鬼貫になる。鬼貫の最も有名な句、


 行 水 の 捨 ど こ ろ な き む し の こ ゑ

 のちにある川柳作者はこれを皮肉っている。


 鬼 貫 は 夜 中 盥(たらい) を 持 ち 歩 き

 そして松尾芭蕉が登場する。芭蕉について、キーンは「その人となりは謙虚だったが、自己の芸術に関する限りは絶大な自信を持っていたのであった」と書く。そのとおりだったろう。
 芭蕉の句をキーンが読み解いている。ここでは省いたが、引用したすべての句に英訳が付されている。本書はもともと英語で出版されているのだ。


 ほ と ゝ ぎ す 消 行 方(きえゆくかた) や 島 一 つ


 句に動きがある。遠くへ飛び去るほととぎすを追っていった視線が、その姿の消えたところで島の影を認める。語の配置された順序、そして音の静かな下り調子が、その動きをみごとに再現している。

 芭蕉の章に本書の30%が充てられている。ついで「芭蕉の門人」が語られる。キーンは、芭蕉の門人のうち、真に優れた作者だけに限定するなら、其角、去来、許六、支考の4人ではないかと思われると書く。
 最後に短い「仮名草子」の章があって、本書が終る。
 俳諧から芭蕉までの優れた江戸文学史で大変参考になった。


日本文学史―近世篇〈1〉 (中公文庫)

日本文学史―近世篇〈1〉 (中公文庫)