大江健三郎のエッセイに紹介されているF. ベーコン

 岩波書店のPR誌『図書』に連載されている大江健三郎のエッセイ「親密な手紙」だが、6月号は画家のフランシス・ベーコンとの出会いが語られている。

 こういう「偶然」につて、その起った年月をはっきり覚えているというと信用されないが、30年前の7月、電車で隣りに座った人の拡げている新聞に、「胸に突き刺さるような」絵の写真が載っているのを見た。(「偶然」「胸に〜」のカギ括弧内は原文傍点付き)私がいま傍点を打った語句に注意していただければ幸い。
 こういう時、知らない相手に新聞の名を訊ける性格ではないので、ただ大きい写真版の絵を見つめるだけだったが、その人は立ち上がると網棚に新聞を棄てて降りて行った。これもオオゲサに聞こえるに違いないけれど、私は生涯のもっとも大切な画家にめぐりあうことができた! フランシス・ベーコン
 私はその日、用事があった出先を変更して、記事にある東京国立近代美術館の大きい展覧会を見に行った。その10年後に亡くなった画家の、晩年さらに個性を深めながらの旺盛な仕事を、最初の展覧会から記憶に刻まれている作品群に重ねて、いま同じ美術館で見ることができる。
 絵画の解説は不得意なので(ただ感嘆するのみ)、売店に揃えてある本はあらかた買ったなか、とくに優れているインタヴュー集と対話記録のうちの1冊、デイヴィッド・シルヴェスター(小林等訳、筑摩書房)のものから引用する。
《絵画にはもう自然主義的なリアリズムなどありえないのですから、新たなリアリズムを創造して、神経組織に直接伝わるようなリアリティーを表現すべきなのです。でも、偶然に浮かんだイメージのほうがたいてい、あるいは必ずといっていいぐらいリアルなのはなぜか、わかる人がいるでしょうか。》(後略)

 大江がフランシス・ベーコンに傾倒しているのは有名だし、NHK日曜美術館フランシス・ベーコン展特集にも出演して興奮気味に語っていた。
 しかし大江は優れた作家ではあるが、優れた美術評論家とは言えないだろう。(専門外で優れた美術評論を書いたのは吉田秀和くらいしか思い当たらない)。大江のフランシス・ベーコン評価に重きを置くことにあまり意味はない。たとえばアンディ・ウォーホル村上春樹は優れた作家だと仮に言ったとしてもあまり意味がないように。
 大江は優れた作家だから、作家に対する評価は傾聴に値する。村上春樹が現れたとき、村上に高い評価を与えなかったと後年批判されたことがあったけれど、逆に大江の評価がそうであったなら、大江の文学性に対する信頼は揺るがない。
 私は『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』を出版直後に読み、優れた作家が現れたと思ったものの、『〜ピンボール』以後は、この人は私より若い世代が読むべき作家で、私が読む必要はないと考えて読むのをやめた。ただ10年近く前に娘が読みなというので、彼女の指導のもとに中期までのほとんどの長篇を読んだ。ほとんどというのは中にはこれは読む必要がないと彼女が言うのもあったから。娘の指導で村上春樹を読み、それを2人で話し合うのは楽しかった。最近のものは読まなくいいと言うので、21世紀に入ってからの村上はほとんど読んでいない。
 村上の最新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が巷の大きな話題になっている。表紙にアメリカの抽象表現主義の画家モーリス・ルイスの作品が使われている。それを見て知人の美術コレクターが、村上はモーリス・ルイスが好きで、表紙に使った作品に触発されてあれを書いたのだろうと言った。それは違うと思う。村上の好きな画家は落田洋子であり、彼女の作品は何度も村上の表紙を飾っており、村上も落田のコレクターであるらしい。一種メルヘンチックな落田洋子とモーリス・ルイスは何ら接点がなく、表紙を選んだのは内容に触発されたブックデザイナーだったに違いない。登場人物に色の名を与えたのは、むしろポール・オースター『幽霊たち』(新潮文庫)の影響で、やはり登場人物たちにブルー、ホワイト、ブラック、グレー、グリーンという名前が付けられている。『幽霊たち』は未読で、このことは丸谷才一の書評で知った。
 リストの『巡礼の年』が話題になっている。私もこの第2年「イタリア」の「ダンテを読んで」が好きで、ラザール・ベルマンの荒々しいタッチでよく聴いていた。