讃岐典侍日記が伝える死の瞬間

 ドナルド・キーンの『百代の過客』(朝日選書)を読んでいる。副題が「日記にみる日本人」というもので、上下2巻で平安時代の僧円仁の書いた『入唐求法巡礼行記』から徳川時代川路聖謨の『下田日記』まで80冊近い日記を取り上げ、それぞれ数〜十数ページをあてて解説紹介している。
 その讃岐典侍(さぬきのすけ)日記は宮中に仕えていた藤原長子が堀河天皇崩御の直後に、6年間仕えていた天皇の回想を記述したもの。堀河天皇は長患いのあと29歳で亡くなった。その最後の瞬間を藤原長子が記している。

 長子は、最後の病床にあった天皇の、その日その日の状況を、ことこまかに記録している。日によっては、回復に向かうかと見えたこともあった。そして、みなは、過去の何度かの重病の際もそうであったように、今度も無事全快されることを願った。だが、天皇自ら十分気づいていたように、目前の途は、死に直結していたのである。いよいよ臨終が迫った時、烈しい咳の発作の下から、天皇は言う。「ただいま死なんずるなりけり。大神宮たすけさせ給へ。南無平等大会講明法華」「苦しうたへがたくおぼゆる、いだきおこせ」。だが長子がその手を取ると、すでにそれは氷のように冷たく感じられた。そのあとすぐ、それまで余力をふりしぼって念仏を称えていた天皇の口は、ついにその動きを止めたのである。「御口の限りなん念仏申させ給へるも、はたらかせ給はずならせ給ひぬ」。

 堀河天皇は長子に看取られて亡くなってしまう。その直前まで意識はありながら、突然死の世界に転じてしまった。藤原長子がその瞬間を記録していた。
 こんな風に死に落ちてゆくなんて悪くないと思った。



百代の過客 日記にみる日本人 (講談社学術文庫)

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