加藤周一の小説「幻想薔薇都市」を読みかえして・補遺

 加藤周一「幻想薔薇都市」(岩波書店)を読んだ感想の補遺を記す。インドのボンベイを舞台にした短編「華麗なポルノまたは……」は日本人の青年がボンベイの金持ちの夫人に誘惑されて激しい一夜を過ごす話だ。加藤はこの短編の大分をエロチックな描写に当てている。もちろん加藤のことだからエロチックにしかも下品にならないよう書いている。

 息づかいあらく、流れる汗の中に手が這いまわり、絡み合った肢がゆるんで、両膝を上げながら内股が開いてゆくのに、身体を重ねれば、盛りあがった尻の肉は痙攣して慄え、押しつけた下腹にも波立つように伝り、乳を吸いながら湧き出し溢れる粘液のなかへ辿りこんでゆくと、声にもならぬ低い歎声が洩れはじめ、燃えるように熱い腿の内側が高くあがってきて、両脇をはさむように触れ、深く入れば、聞えるか聞えぬかの歎声は抑えた呻き声に変ってゆく。眼を閉じたまま整ったその顔だちは崩れず、歪まず、ただ喘ぐように唾に濡れた唇を開き、左右に頭を振る身もだえが全身を揺さぶるかのようで、強い酔心地のなかに自他の区別が次第に消えゆこうとするときに、二つの身体は融け合い、深く浅く抜きさしする腰のリズムが、次第に高く泣き叫ぶような声となって、ほとばしり、昂まり、叫び声は耳に一ぱいにあふれ、世界に充ち、内側からつきあげて来る興奮が頂上へ登りつめる瞬間、相手の何かがわかるのではなく、汝が消え、我が消える。左右に頭を激しく振り、弓なりに背を反らせ、やわらかく波打つ下腹と嵐のなかに揺れ動く腰。力のかぎりに泣き叫ぶ声の持続。

 加藤周一の小説が成功していないように、加藤周一のポルノは成功していない(いや性交はしているのだが)。この短篇に限れば漢字が多すぎる。ポルノだったら多くの漢字を平かなに開かなければいけないだろう。平かなが溢れれば紙面が白くなりページに女体の柔らかな線が現れる。
 この岩波書店版には短篇ごとにモノクロ写真が添えられている。アッジェの撮った建物の一隅やブラッサイの街角で見つめ合う恋人、「華麗なポルに……」に添えられたのはマン・レイのトルソのヌード、ほかにもマン・レイの花の写真、ハイビスカスやカラー。最後のページにおそらく本書でたった一つの瑕疵が現れる。

 この写真には、W. H. F. タルボット撮影の「小麦の茎. Stalks of Wheat」というキャプションが付けられている。wheatは小麦だが、この写真は小麦ではない。何かイネ科の植物の穂だ。元の英語のキャプションが間違っているのだが。「イネ科植物の花穂」か、stalksを生かして「イネ科植物の花序」とするのが良いのではないか。いや、いささか衒学趣味が過剰だったかもしれない。