東海林さだお『サンマの丸かじり』を読む

 東海林さだおの「食」の長期連載エッセイの文庫版最新作で39冊目の『サンマの丸かじり』(文春文庫)を読む。単行本はさらに数冊は刊行されているはず。もとは『週刊朝日』に毎号見開き2ぺージで連載されているもの。東海林さだおのエッセイを読むのはこれが初めてだった。
 最初の章「好漢! キャベツ」の冒頭を引く。

 キャベツについて深く考える人はいるだろうか。
 八百屋にキャベツが並んでいる。
 スーパーの野菜コーナーにキャベツが並んでいる。
 それを見て、
「うむ。キャベツが並んでいるな」
 と思う人はいるだろうか。
 キャベツが並んでいるのを見て、
「これはキャベツという名前の野菜である」
 と認識する人はいるだろうか。
 それほど人々のキャベツに対する認識は薄い。
 薄い、というより、ない。
 ま、一日中キャベツのことばかり考えている人もいないと思うが……。

 句点ばかりか読点でも改行している。これを読んで綿菓子を思い出した。綿菓子は一つまみのザラメを専用の機械で作る。甘くておいしいけれどほとんど空気のようなものだ。食べごたえが全くない。しかたない、一つまみのザラメなのだから。東海林さだおの「丸かじり」エッセイは綿菓子のようにスカスカなのだ。
 巻末の「解説」で椎名誠が書いている。

 ぼくがある週刊誌に、本書のような2ページの連載エッセイを書くことになったとき、面白く書くコツのようなものを聞いたことがあった。
 「そういうことを意識しては書けないかもしれませんよ」と、東海林さんは言った。(中略)
 「改行を多くしたほうが読みやすいからいいみたいですよ」
 とも言われた。

 「〜いいみたいですよ」と伝聞のような言い方をしている。そのように編集者から言われたのだろう。おそらく読みやすくするためもあるが、本当は水増しし、情報量の少ない内容をかさ上げして毎週週刊誌2ページを埋めるためのテクニックなのだろう。
 キャベツの章の後半で、東海林が野菜が穫れすぎたときの対応に触れている。穫れすぎて値段が暴落する。このときも主役はキャベツであると。広々とした高原のキャベツ畑をトラクターが進んでゆく。トラクターは次々とキャベツを踏み潰してゆく。
 なぜそんな事態が時々起きるのにキャベツ農家はキャベツを作り続けるのか。以前農業の資材メーカーの営業マンに話を聞いたことがある。農協でキャベツ農家が話していた。うちは3,000万だ、うちは2,000万だと。もうかると聞いていたのに案外収入が少ないんだなあと思ったが、それは納税額だった。キャベツ生産では暴落も高騰も数年に一度くらいある。暴落はつらいけれど、高騰したときは相当な収入が見込まれる。高原野菜の村にキャベツ御殿が建っているのはそういうわけだった。
 本書について、誰か有名作家がファンで毎回読んでいると言っていた。大江健三郎だったろうか。まさか?