古井由吉『東京物語考』(講談社文芸文庫)を読む。ちょっと変わった本で、私小説作家、徳田秋聲、正宗白鳥、葛西善蔵、嘉村磯多や、永井荷風、谷崎潤一郎が描いた東京を、その作品に沿って尋ね歩き、当時を再現している。
それにしても私小説作家たちの悲惨な生活はほとんどマゾヒズムと言い得るような暗く過酷なものだ。彼らの生活場所も最低限の土地で、夫婦間のDVもよくも妻は耐えたかと思われるものだ。しかし、逃げ場も無かったのだろう。
「あとがき」で古井は書く。
そうして眺めると、孤立や自己客観の奇妙に煮詰められたものが、善蔵、磯多らの私小説である。そして孤立が進んで、自己客観がいっそう激しくなるにつれて、社会的人格と言うべき個別が解(ほど)けかかり、かわりに一種の、私小説的としか呼びようのない、荒涼とした明視があらわれ、どうやら身体によって償われる。これが私にとって、酷いようだが、私小説を読む醍醐味となった。
大江健三郎と古井由吉、現代文学において重要な二人とされているが、これまで古井はほとんど読んでこなかった。手始めに小説ではなくエッセイを読んでみたが、あまりしっくりとはこなかった。私が小説好きではないからだろう。