岡田睦『明日なき身』を読む

 岡田睦『明日なき身』(講談社文芸文庫)を読む。3月の新刊として新聞に三八の広告が載ったとき、恩田陸が文芸文庫になったんだと思ったが、恩田には興味がないやと思ってそのまま忘れた。それがSギャラリーのYさんから、岡田睦は私小説作家であり、現在行方知れずで生死も不明だという。ほとんど知られていない作家らしい。よく見れば岡田睦と恩田陸は全く別人だ。漢字がちょっとだけ似ているが。
 富岡幸一郎が解説を書いている。

 「ぼくの日常」と題された断章を重ねた作品は、主人公の文字通り危機的な場面を描いているが、ここでも追い詰められた困窮さのなかに、むしろ生き生きとした生活への倒錯的ともいえる熱情が浮かび上がる。「ぼく」は眠り薬を服用し、胃薬を飲み、なけなしの金で飢えを満たし、妻が去り一度自殺を図ったために「精神保険福祉法32条」の適用を受け、2週間に1度訪ねてくるケースワーカーと応対する。家族の記憶や大学時代の回想も混じりながら、自身の生が次第に隘路に突き進み、その果てに「現在」の身動きができない状況が出来する。作者の筆致は、その危機をいかなる観念や抽象的なものへも逃避させずに、驚くほど微細に目の前の具体物のなかに描き出す。

 そして、

 岡田睦こそは最も恐るべき現代の「私」小説家であり、その作品の小宇宙に渦巻く言葉の密度の高さは、小説という表現の力をまざまざと見せつけてくれるのではないか。

 若いころ葛西善蔵を読み、それ以来私小説はほとんど手にしてこなかった。数年前西村賢太が」芥川賞を受賞し、当時通っていた読書会の課題図書に西村の受賞作が選ばれたとき、義務として読んだくらいだった。久しぶりの私小説はやっぱり自分には合わないことを確認した。何しろ20歳前後は突っ張って、フランスのヌーヴォーロマンばかり読んでいたのだから。20代後半ころからはあまり小説を読まなくなったので、若いころの読書の影響が今でも消えていないようだ。
 講談社文芸文庫は巻末に充実した略年譜と著書一覧を付すのが恒例で、通常それは20〜30ページにも及ぶのだが、本書のそれはわずか1ページに過ぎない。1932年生まれ、慶應義塾大学文学部仏文科卒。芥川賞候補にもなったことがあり、著書は5冊。生死も含めて謎の作家のようだ。


明日なき身 (講談社文芸文庫)

明日なき身 (講談社文芸文庫)