大岡昇平『常識的文学論』を読む

 大岡昇平『常識的文学論』(講談社文芸文庫)を読む。このタイトルは生ぬるい、「好戦的文学論」だろう。昭和36年(1961年)に雑誌『群像』に連載した文芸時評的なものだが、初回から当時世評きわめて高かった井上靖の『蒼き狼』に激しく嚙みついている。

 

 井上靖蒼き狼』は昨年度に発表された小説中、際立った力作であり、文芸春秋読者賞を受け、毎週ベストセラーに名を連ねている。批評家達が「本年度の一大収穫」「規模雄大歴史小説」「井上文学の転回点」「現代的な英雄叙事詩」など、口を揃えて絶賛している。『蒼き狼』がこれだけの賞賛に価する作品であるか。それは本当に叙事詩的進行を持っているか、はたして歴史小説か、というのが、反感が私に抱かせた疑問である。(中略)

 結論を先に言えば、『青き狼』はこれまでの井上氏の小説群と、題材を除いて、大差のない小説である。叙事詩的でもないし、歴史小説と言えるかどうか疑問である。井上文学の転回点どころか、その限界をはっきり示した作品である。以下これを立証する。(後略)

 

  そして、この章の最後に、

 

 ただそれを歴史小説にするためには、井上氏は『蒼き狼』の安易な心理的理由づけと切り張り細工をやめねばならぬ。何よりまず歴史を知らねばならぬ。史実を探るだけではなく、史観を持たねばならない。

 

 と手厳しい。その次の次の会で井上靖の反論に対して再反論をしている。

 三浦哲郎忍ぶ川』について、

 

 張扇的語り口は、私小説が話すように書く以上、少しでもたががゆるむとすぐ出て来るもので、『忍ぶ川』も別物ではない。めずらしく第二作第三作に大きな破綻のない芥川賞作家が出たと思ったら、中味は田宮虎彦の純愛物語の二番煎じだったのに、私はがっかりしている。

 

 水上勉松本清張について、

 

 水上勉『雁の寺』が人を動かすのは、吉田健一が指摘するように、雁の絵がよく描かれているからである。松本清張が『影の地帯』『霧の旗』のような愚作を十万部売ることが出来るのは、『天城越え』『鬼畜』のリアリティで、読者を捉えているからである。

 

 また当時、弟子が三千人と言われていた文壇の大御所佐藤春夫について、

 

 先月最大の雄篇は、佐藤春夫『うぬぼれかがみ』であり、また戦後最醜の文章でもある。或いは日本文学始って以来かもしれず、無論世界文学史に例はあるまい。佐藤春夫はとにかく文学の世界で、最も醜悪な文章を書いたという名誉と共に、後世に残るであろう。

 

 大岡の連載が1年間で終わってしまったのは惜しい。もう1年、いや2年書き続けてくれたら面白かったのに。

 また現在からみれば、大岡の批判はすべて正しかったと思われる。

 

 

 

常識的文学論 (講談社文芸文庫)

常識的文学論 (講談社文芸文庫)