『自選 大岡信詩集』を読む

 『自選 大岡信詩集』(岩波文庫)を読む。とても巧い詩人だ。十代からすでに優れた詩を書いている。とくに修辞の技巧が群を抜いている。シュールレアリスムの手法を自家薬籠中のものにしている。イメージが大胆に飛躍する。
 大岡は美しい娘を歌う。青春の恋を歌い上げる。解説で三浦雅士が書いている。

 1960年代に20歳前後だったものの実感としていえば、大岡は、鮎川信夫吉本隆明と並ぶ、詩壇の指南車にほかならなかった。鮎川、吉本が多かれ少なかれ政治的であったのに対して、大岡は非政治的であり、芸術派の代表にほかならなかった。鮎川、吉本が詩人の戦争責任を問うたとすれば、大岡は詩人の芸術上の責任を問うたのである。

 大岡に近い詩人を挙げるとすれば、谷川俊太郎清岡卓行を思い浮かべる。日常的なものを歌う点で谷川が近く、恋愛を歌うところが清岡と共通するだろう。ただ谷川のテーマは大岡より広く、清岡の詩はもっと内臓深く刺さっているような印象がある。すると、大岡の詩は多少なりとも表層的であるような相貌をしているのだろう。清岡の深刻さには遠く、そこそこの悩みを技巧で詩にできているのではないかと邪推したくなるほどだ。そして谷川が政治を除いて幅広く詩のテーマに取り上げているのに、大岡は半径10メートルくらいの私的な領域しか興味を示さない。愛した娘とやがて結ばれ、ちゃんとSEXにまで至っている。おめでとうございます。よかったですね。それはアラーキーの写真集『センチメンタルな旅』と似通っている。だが、アラーキーは新婚旅行の夜の旅館で乱れている陽子さんを撮影して写真集に収録しているのに、大岡はきれいな詩にまとめているだけだ。
 恋愛詩といえば、黒田三郎も忘れることができない。小さな娘ユリと2人で、入院している妻を訪ねる作品「九月の風」から、

ユリはかかさずピアノに行っている?
夜は八時半にちゃんとねてる?
ねる前歯はみがいてるの?
日曜の午後の病院の面会室で
僕の顔を見るなり
それが妻のあいさつだ


僕は家政婦ではありませんよ
心の中でそういって
僕はさり気なく
黙っている
うん うんとあごで答える
さびしくなる


言葉にならないものがつかえつかえのどを下ってゆく
お次はユリの番だ
オトーチャマいつもお酒飲む?
沢山飲む? ウン 飲むけど
小さなユリがちらりと僕の顔を見る
少しよ

 大岡の詩はあまり引用する気にはなれない。暗唱する気にはなれない。ただ「地名論」は印象に残った。

水道管はうたえよ
御茶の水は流れて
鵠沼(くげぬま)に溜り
荻窪に落ち
奥入瀬で輝け
サッポロ
バルパライソ
トンブクトゥーは
耳の中で
雨垂れのように延びつづけよ
(中略)
外国なまりがベニスといえば
しらみの混ったベッドの下で
暗い水が囁くだけだが
おお ヴェネーツィア
故郷を離れた赤毛の娘が
叫べば みよ
広場の石に光が溢れ
かぜは鳩を受胎する
おお
それみよ
瀬田の唐橋
雪駄のからかさ
東京は
いつも
曇り

 でも詩集の最後に置かれた「延時(イエンシー)さんの上海」にほとんど感動した。詩集を読み終わって唯一感動した作品だった。それは大岡の祖父を歌った詩。祖父延時(のぶとき?)は戦前中国に渡り上海に20余年独り住み、昭和10年そこで死んだ。享年52歳だった。大岡信の父親が学費の無心に上海を訪ねたことがあったが、あきらめて帰ってきたという。大岡はある日見知らぬ婦人から一通の手紙を受け取る。彼女は少女時代、上海に住んでいた。その人の持ち家に大岡の祖父ダーカン・パパが住んでいたと。近所の中国人たちがあの人の中国語の流暢さは日本人なんかじゃないと言っていた。中国人も日本人もみな祖父を慕っていた。お葬式には中国の青年たちが亡き師を悼んで長蛇の列を作ったと。1996年、大岡は上海を訪ねる。祖父の住んでいた家は見つかったが、住人は外出中だった。案内人が、最近篠田正浩監督をもここに案内したと言う。昭和の初め、尾崎秀実が隣に住んでいたと。あのゾルゲ事件の。「ではぢいちやんは、尾崎秀実と接触があつたのだらうか」。しかしそれ以上のことは分からなかった。
 100行を超える詩。でもこれは小説か何かにした方がいいのじゃないだろうか。そう考えたとき井上靖の詩「猟銃」と、それを小説にした『猟銃』を思い出した。井上靖の小説は、その詩に及ばなかった。
 岩波文庫の解説を三浦雅士が書いている。26ページに及ぶ解説は力作で、大岡をみごとに分析している。文庫の解説という性格からマイナス面には言及していないが。三浦は大岡の批評家としての側面を高く評価する。そして大岡の詩集『悲歌と祝祷』、『春 少女に』の2冊を、掛け値なしに日本現代詩の最高の達成であると称揚する。


自選 大岡信詩集 (岩波文庫)

自選 大岡信詩集 (岩波文庫)