谷沢永一『運を引き寄せる十の心得』を読む

 谷沢永一『運を引き寄せる十の心得』(ベスト新書)を読む。Amazonで取りよせて机上に置いておいたら、娘が見て父さんなんでこんな本買ったの? と訊く。自分でもなぜ買ったか忘れてしまった。誰かの書評を読んで取り寄せた記憶はあった。谷沢永一はむかし『紙つぶて』を読んで面白かったことを憶えている。谷沢についてブログに何か書いたか検索してみた。Amazon小谷野敦が書いた書評を見て、本書を取り寄せたことを思い出した。その書評を紹介する。

★★★★☆国文学会裏面史
この題名ではもったいない、谷沢永一風雲録とも言うべきもので、谷沢―三好論争の出発点とか、谷沢が東大に怨念を抱く理由とか、日本近代文学研究の内幕がぞろぞろ書いてある。日本近代文学に限らず、文学研究者必読の書である。

 最高が星5つの4つという高い評価がついている。「文学研究者必読の書である」とある。
 読んでみて、この題名はひどい。「国文学会裏面史」とするのがまだ合っているだろう。『運を引き寄せる〜』の題名につられて買った読者も納得しないだろう。
 開高健は谷沢の中学の後輩だった。谷沢が作った同人誌に開高が参加してきた。のちに開高が芥川賞を受賞したあと、求められておびただしいエッセイを書き綴った。開高がそれらに無関心でいるので、谷沢が掲載されたものを自分に送れと言ったのに開高はそれもしなかった。開高は自己愛が乏しいからと谷沢が書いている。それで谷沢が勝手に開高の執筆した掲載誌紙を自費で購入し台紙に貼って蓄積していった。文春の編集者萬玉邦夫が『開高健全ノンフィクション』全5巻を企画して開高健を訪ねて過去のエッセイの提示を求めたところ、開高は自分は保存していないので、谷沢を訪ねるよう指示した。その後半年をかけて萬玉と谷沢が協力して刊行にこぎつけた。萬玉との雑談の中から谷沢の『完本紙つぶて』が刊行されることになった。
 谷沢が関西大学の助手のとき同人誌に「明治文芸評論の研究」を載せていた。それを読んだ文芸評論家の小田切秀雄から突然声がかかり、谷沢に大正期文芸評論について2年以内に1冊分の原稿を書け、東京の出版社から出版してあげるからと言われる。谷沢は、戦後60年経つけれど、国文学者で処女作を書きおろしで刊行したのは飛鳥井雅道と自分だけだろう、それほど大変なことだったと書く。それが可能だったのは、すでにそれだけの準備ができていたからだ、と。
 小田切秀雄の弟の小田切進が中心になって近代文学館の設立を企画する。文学館ができて、その第1回の展示会を東京の伊勢丹デパートで開く。ついで大阪でも開いたが、大阪のときは小田切進と後援の大阪読売の山岸健司と谷沢の3人で展示を準備した。その縁で大阪読売に谷沢が「紙つぶて」のエッセイを書き始めた。4年ほどして連載が中止になったとき、それをまとめたものを大阪の古本屋が出版してくれた。たまたま縁があった高坂正尭の弟子の山野博史が、その本の寄贈先に大岡信や新潮社の柴田光滋などを勝手に付け加えた。大岡信朝日新聞文芸時評を担当していて、大きく取り上げてくれた。柴田は新潮社のPR誌『波』の巻末に紹介してくれた。
 こうした縁で谷沢の運が開けていった。その他、本書には国文学会の汚い裏面史が実名を挙げて紹介=暴露されている。『紙つぶて』もたしか容赦のないコラム集だったと思う。
 読み始めてすぐ、かったるい文体だという印象だったが、谷沢の語りを編集者に整理してもらったとあった。なるほど。



運を引き寄せる十の心得 (ベスト新書)

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