高良留美子『その声はいまも』を読む

 高良留美子『その声はいまも』(思潮社)を読む。3月に発行された高良留美子最新の詩集だ。高良は1932年生まれ。私が初めて高良の名前を知ったのは吉田喜重監督の映画『水で書かれた物語』の脚本家としてだった。吉田は高良の詩人としての言葉の感覚を映画の会話に取り入れることを期待したと書いていた。映画は1965年公開だったが、私がこれを見たのは公開後数年が過ぎていたのではなかったか。思潮社の現代詩文庫『高良留美子詩集』を1971年に購入している。「やってくるもの」という詩に印を付けているからそれが気に入ったのだろう。妊娠して子供が生まれるまでを書いている。
 『その声はいまも』の標題を採った同名の詩「その声はいまも」は先の東北大地震で、すぐに津波から逃げなさい高台へ逃げなさいと繰り返し放送していた防災マイクのアナウンサーをうたっている。彼女自身は津波に呑まれてしまった。

    その声はいまも



あの女(ひと)は ひとり
わたしに立ち向かってきた
南三陸町役場の 防災マイクから
その声はいまも響いている
わたしはあの女(ひと)を町ごと呑みこんでしまったが
その声を消すことはできない


 ”ただいま津波が襲来しています
 高台へ避難してください
 海岸付近には
 近づかないでください”


わたしに意思はない
時がくれば 大地は動き
海は襲いかかる
ひとつの岩盤が沈みこみ
もうひとつの岩盤を跳ね上げたのだ
人間はわたしをみくびっていた


わたしはあの女(ひと)の声を聞いている
その声のなかから
いのちが甦るのを感じている
わたしはあの女(ひと)の身体を呑みこんでしまったが
いまもその声は
わたしの底に響いている


 また「月女神を探せ」という詩では諏訪大社の恐ろしい伝承がうたわれている。
その詩の途中を引用する。

 諏訪信仰圏でかつて盛大に行われた儀礼では、選ばれた六人の少年が厳冬の大室(むろ)で三匹の萱製の蛇体とともに百日間忌みごもったあと、春になると、諏訪神社の大祝(おおほうり)の使いとして各地のミシャグチ神のもとに遣わされます。鹿七十五頭の頭の血と、大松明の火と饗宴の酒で祝い、赤い衣を着て、葦、薄(すすき)、藤蔓、柊、辛夷、柳などの植物群に囲まれて村々の湛(たたえ)を巡回していくのです、馬に乗り、何日もかけて儀式を行ないながら、その年の豊作を祈願して。しかし少年たちは重要な儀式の頂点で、馬上から引きずり下ろされて殺されたと伝えられます。かれらは諏訪の古い祭政体が月女神に捧げた人身御供だったのでしょうか。

 以前そのことを諏訪出身の知人に質したが、あいまいな表情をして答えてくれなかった。


その声はいまも

その声はいまも