脚本家の早坂暁さんが亡くなった(12月16日=88歳)。吉永小百合主演の『夢千代日記』などの脚本を担当した。私は早坂の映画を見たことはなかったが、猫に関する印象的なエッセイを通じて関心を持っていた。それで、彼が山頭火に関する映画の企画を持っていて、脚本は完成していたのに、権利か何かの関係で映画化をあきらめたことや、代わりに尾崎放哉を主人公に映画化を考えていて、監督の目途も立っているとどこかに書いていたのを憶えている。その監督に会う機会があったので、放哉の件について質問したが、撮る予定はないとの答えだった。放哉でも山頭火でも早坂の脚本になる映画を見て見たかった。
早坂の猫に関するエッセイを再掲載する。
ボクは東京は渋谷の繁華街、公園通りに住んでおり、そこにはボクの大好きな猫たちが住んでいて、毎夕、挨拶をかわし、可愛い声を聞かせてくれるかわりに、キャットフードをプレゼントする『援助交際』をしているのだが、その数十匹の猫たちをたどると、一匹の、まことに色っぽい牝猫にたどりつくのだ。
ご先祖さまということで、『アマテラス』という名がついている。
そのアマテラスが、うずくまったまま、食べることも、水を飲むこともしなくなった。十七歳をこえているから、人間でいえば百歳か。
彼女がゆるりと体をおこした。よろよろと山手線の線路のほうへ、ゆるい坂道を下っていく。
― とうとう死ににゆくのだ。
ボクはアマテラスの後を追った。何百匹と公園通りの猫たちと付き合ってきたが、一度だって、どこで死ぬのか教えてくれなかった。死にぎわがくると、ふっと姿を消してしまう。
ビルの谷間や、わずかな空き地をさがしてみるが、一匹の死体も見つけることもできない。アマテラスは、よろめいては立ち止まって休む。無理はない。彼女はここ一週間ぐらい、ろくに食べてないんだ。水も絶った……。
いってみれば弘法大師空海が死んだときのように、五穀絶ちをしているのだ。空海は死期を悟ると、自らその日を予告して、その日に向かって五穀を絶ち、最後に水を絶って死を迎えたという。
アマテラスも、水を絶った時点で、はっきりと自分の死を直感し、わずかに最後の旅への体力を残して歩きだしたにちがいない。どこへ行くのか。山手線にぶつかったところで、ゆっくり左折して長い坂を登っていく。おしりから赤い血が流れている。
ボクは釈尊の最後の旅を想ったりした。八十歳を数えて釈尊は死を予感し、北に向かって旅をする。病は大腸癌だったとか。
アマテラスも腸に癌があるから、あんなに血をおしりから流しているのだろう。立ち止まり、うずくまる。そして歩きだす。すさまじい意志の力が、ボクに伝わってきて、なんだか泣きそうになってくる。
「ボクなんかみっともなく、おろおろするばかりだったのに、あんたは本当に立派だなぁ」
アマテラスは、とうとう坂を登りきった。あとは広い車道を横切れば、明治神宮の森にたどりつくが、車の通行が激しくて、とても渡れない。そこは信号機もないのだ。
ボクは彼女を抱きあげようと近ずくと、アマテラスはもう車道に足を踏み入れていた。自分の力で、真っすぐ車道を横切ろうというのだ。
「停まってくれ! ストップ!」
ボクは車道に飛び出し、疾走してくる車に向かって手をふった。ブレーキの音を鋭くたてて、車が次々に停まった。
「さあ、渡れ。渡るんだ、アマテラス」
六十歳の奇妙な男が両手をあげて車を停め、その前を衰えいちじるしい老猫が、ヨロヨロと歩いている。
非難のクラクションが背後で鳴っているが、知ったことか。アマテラスを抱きかかえて走れば、あっという間に渡り切れるが、彼女が命をしぼるようにして行う最後の儀式に、手をさしのべることは無礼な気がするのだ。とうとう、アマテラスは横断しきった。目の前にあるコンクリートの柵は明治神宮だ。
「さあ、お入り……」
アマテラスは自分の体を押しこむようにして、昼なお暗い神宮の森の中に入っていった。
「そうか、ここが公園通りの猫たちの死に場所なのか」
思わずボクは森の闇に消えていくアマテラスに合掌して、空海さんの最後の言葉を繰りかえしていた。
「生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」
うん、立派だったよ、アマテラス ― 。
このエッセイは『ひと、死に出あう』に収録されている。早坂暁の猫に関するエッセイのいくつかはこのブログでも紹介してきた。
アマテラスは17歳だったのか。うちのプーは9月に18歳で亡くなった。マンション猫だったので、最後は娘の腕の中で息を引き取った。プーや、家族一同お世話になったね、ありがとう。
- 作者: 週刊朝日
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