老いを嘆く歌を読んで

 朝日歌壇に老いを嘆く歌が2人の選者に採られて掲載された(2月25日)。馬場あき子と高野公彦に選ばれた半田市の石橋美津子の歌は、


ああつひに席譲らるる日の来たり決めたとほりにありがたうと言ふ

 高野の評は「席を譲られ、寂しさを隠して感謝する良き人」というもの。私は小さくない違和感を感じた。なぜか。年を取れば席を譲られることもある。そして誰でもやがて年を取る。あたりまえのことを大仰に言っているように感じたのだ。私だって10年前、50代半ばから席を譲られている。礼を言って座らせてもらっている。しかし今でもたまには私より年輩者に席を譲ってもいる。
 お前が男だから、女性は違うのだと言われるかも知れない。別れたカミさんは50代半ばの頃、若い頃が良かったという人がいるけど私は今が一番いいわと言っていた、白い頭を染めることもしないで。
 中島みゆきもアルバム『寒水魚』に収められた『傾斜』で歌っている。

としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
忘れっぽいのはステキなことです そうじゃないですか

 ケチ付けついでにもう一点、言うなれば些末なことを文語体で書いている。それも違和感の理由であるように思う。日常詠を文語体で書くべきではないとの決まりはないが。