現代短歌への入門書

 関川夏央「現代短歌 そのこころみ」(集英社文庫)は何とも素っ気ないタイトルだが、極めて出来のいい解説書で読んでいて面白かった。1953年、斎藤茂吉釈迢空という短歌界の2巨星が亡くなった。翌年中井英夫は、彼が編集する「短歌研究」に新人発掘を発想して「五十首詠」を募集した。そこに現れたのが中城ふみ子寺山修司だったと関川は紹介する。代表歌とともに歌人を素描しているが、知らないことが多かった。いや寺山修司以外はその略歴すらほとんど知らなかった。
中城ふみ子
救いなき裸木と雪のここにして乳房喪失のわが声とほる
失ひしわれの乳房に似し丘あり冬は枯れたる花が飾らむ
草はらの明るき草に寝ころべり最初より夫など無かりしごとく
死後のわれは身かろくどこへも現れむたとへばきみの肩にも乗りて
寺山修司
チエホフ祭のビラのはられし林檎の木かすかに揺るる汽車過ぐるたび
一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき
マッチ擦るつかのか海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
(村木道彦)
するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら
失恋の<われ>をしばらく刑に処す アイスクリーム断ちという刑
福島泰樹
傘ひらくときはちきれる紺色のジャケツ少女の未来は情死
(葛原妙子)
カルキの香けさしるくたつ秋の水に一房の葡萄わがしずめたり
典雅なるものをにくみきくさむらを濡れたる蛇のわたりゆくとき
原牛の如き海あり束の間 卵白となる太陽の下
晩夏光おとろへし夕 酢は立てり一本の壜の中にて
(永井陽子)
あはれしずかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ
木のしづくこころのしづくしたしたと背骨をつたふこのさびしさは

 読者にとって、歌は一瞬の光芒であって構わない。「青春歌」の場合は、ことにそうだ。むしろそのほうがよい。歌は愛誦され、歌人は消費される。
 だが歌人の人生は一瞬ではない。重荷のほか長い。歌は未完でよいが、人生が未完であるのはつらい。歌われた歌と歌った歌人の人生について思いをいたすとき、短歌とは残酷な文学であると思わないではない。

(宮 柊二)
ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声も立てなくくづおれて伏す
(岸上大作)
血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする
意思表示せまり声なきこえを背にただ拳の中にマッチ擦るのみ

「戦後」が終って久しい90年代、「戦後」を情緒的に回顧する空気が生じた。「学生叛乱」の時代を送った友人同士が、4半世紀のちに懸隔した立場で再会する、そんな「第三の男」の焼き直しのような設定で文学賞を受けた「テロリストのパラソル」(藤原伊織)という小説では、謎解きの鍵として短歌が使われた。
「殺(あや)むるときもかくなすらむかテロリスト蒼きパラソルくるくる回すよ」藤原伊織
 この小説に満ち満ちた感傷と自己憐憫の気配にはたじたじとするばかりだったが(「男のハーレクイン・ロマンス」と適切に評した人がいた)、この短歌の尋常ではないつたなさもまた私を悩ませた。
 それにしてもなぜ短歌なのか。歴史からの安易な逃避の手だてか。
「勝者にも敗者にもあらず戦争の恐怖去らしめひとつ民族」李正子
「軍事地図安全保障をぬりかえる握手万歳統一の歌」
 こちらは2000年6月、劇的というより、たんに唐突に行われた南北首脳会談を詠んだ歌である。これも「社会詠」というべきなのであろう。
 短歌は繊細かつ鋭敏な器である。だからこそこのように陳腐きわまりない言葉の羅列にリズムのみ借用されたときは、無残なまでの脆さをあらわにするのである。

石原吉郎
死に代り死に代らずば銀杏のこれのみどりはなほ掌に在りや
村上一郎
けふのみの武蔵国原手を振れば八月(はちげつ)の雲の湧きやまずけり

 村上一郎は家人が外出している隙に日本刀で右頸動脈を切断、自死した。54歳であった。(略)磯田光一は別稿でさらにこう書いた。「(略)村上さん、出来うれば永井荷風のように憤怒を明晰な散文に定着し、ひっそりと死んでほしかった、と」

(俵 万智)
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 短文は誰にでも書けそうである。その一部は「ポエム」化して、90年代前半に全盛を誇った。その代表的なものが、思い出すだけで赤面を禁じ得ない銀色夏生の叙情詩であり、「相田みつを」の人生訓的短詩であった。また「町おこし」に使われた「日本一短い "母" への手紙」や片岡鶴太郎の画文集であった。94年にデビューした俳句の黛まどかは、「 "これくらいなら自分にもつくれそう" という敷居の低さ」(斎藤美奈子)すなわちヘタクソで受けたのだし、98年長野冬季五輪の折に彼女の俳句を紙面に連載させたのは朝日新聞の「おじさんたち」であった。理由はたんに「美人」であったから、につきる。

 アマチュアの木下いづみの短歌に笑った。
脱衣所の狭さも嬉し草津の湯脱いで開ければ広い脱衣所
 ついで新聞歌壇を批判し、台湾人の短歌を暖かく紹介する。
(穂村 弘)
「酔ってるの?あたしが誰かわかってる?」「ブーフーウーのウーじゃないかな」
サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい
「猫投げるくらいがなによ本気だして怒りゃハミガキしぼりきるわよ」
目覚めたら息まっしろで、これはもう、ほんかくてきよ、ほんかくてき
(齋藤 史)
春を断(き)る白い弾道に飛び乗って手など振ったがつひにかへらぬ
知らざるうちに叛乱の名を負わされゐしわが皇軍の蹶起部隊は
白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り
野の中にすがたゆたけき一樹あり風も月日も枝に抱きて(歌会始で)


 楽しく有益な読書だった。ここに紹介された歌集を読んでみたいと思った。10年ほど前に読んだ小林恭二「短歌パラダイス」(岩波新書)もまた。