大岡昇平『小林秀雄』を読む

 大岡昇平小林秀雄』(中公文庫)を読む。大岡が先輩であり師であった小林秀雄について書いた文章を集めた文庫オリジナル。第1部に批評・書評を、第2部にエッセイ、第3部に追悼文を収め、小林と大岡の対談2編を収録している。

 大岡が小林に初めて会ったのは、大岡が19歳になりかけで、小林は東大仏文を卒業するところで7歳年上の26歳だった。フランス語の個人教授を受けたが、小林の縁で中原中也とも知り合った。多感な時期の大岡は小林から大きな影響を受ける。

 第1部では小林の小説や評論を取り上げて、紹介解説している。大岡は小説家としては日本でもトップクラスであるが、評論家としては小説と同程度の評価は得られない。小林秀雄論としては必ずしも必読文献には入らないだろう。

 第2部、第3部の小林に関するエッセイや追悼は逆に小林理解にきわめて有効だろう。若いころから亡くなるまで小林の身近にあってその動向に接してきたのだから、面白くないわけがない。

 その他、面白かったエピソードを拾う。

 

 大磯の僕の隣人は福田恒存である。小林秀雄が「鳥みたいな人だよ」と教えてくれたのは、比喩だと思っていたのが、実際に5尺4寸の体へ体重が11貫500で、吹けば飛ぶような痩せっぽちである。海水着を着ると背中のあばら骨が見えるくらい痩せていて見っともないから大磯に住みながら海へ入らないそうだが、鼻も喉首も突出していて、中々男性的風貌を具えていると、当人は自負している。

 彼はこの文章が出るころにはアメリカに着いているはずだから、気楽に書けるのだが、エリオットの翻訳をやりに、奥湯河原の「加満田」へ滞在していた時、家族を愛する彼は、一日子供達を呼んだ。するとおしずさんという、いいたいことは何でもいう女中が、

「あら、福田さんでも子供がお出来になるんですか」

といったとか、福田はこれを一生で受けた最大の侮辱と考えている。

 

 そう言えば、私も娘の友だちから、お前の親父って助平そうなのに、何で子供が一人なのって言われたってことを思い出す。

 福田の5尺4寸、11貫500は、約163センチ、43キロと言ったところだろうか。

 大岡が三好達治と、芭蕉の「この道や行く人なしに秋のくれ」と「人声帰る秋のくれ」の2句の優劣について論じたとき、

 

……若い僕は無論「人声帰る」の方が、感覚的でよい、何故「行く人なしに」と改めたのかわからんという説であったが、三好さんは無論反対である。

「見きわめたものがあるんだ」

 しかしその「見きわめたもの」が何であるかについては、やはりはっきりと教えてくれなかった。議論は僕が「秋のくれ」を「秋の夕方」と思っていたことが判明して、あっけなく終ってしまった。

「どうもさっきから、そうじゃないかと思っていたんだよ」と三好さんは慨歎これを久しゅうしたのである。「まさかと思って、話を進めてやったんだが、もうお前みたいな奴とは、話をするのが、いやになったよ」

 こんな受験参考書的知識すら僕が持っていなかったのは、一重に僕が青山学院、成城と3流のコースを辿っていたからである。府立一中の入学試験に落第したことを白状すると、三好さんは「お前とはもう話をせん」と怒った。

 

 当時とは言え、青山学院、成城が3流なら安倍晋三はどうなっちゃうんだろう。