大岡昇平『成城だよりⅡ』を読む

 大岡昇平『成城だよりⅡ』(中公文庫)を読む。大岡が1981年の日記を『文学界』に連載したもの。大岡73歳。足が衰えて自分のことをよれよれのもうろくじじい等と自嘲している。しかし舌鋒は変わらず鋭い。

 

(……)青山学院院長大木某、縁故入学は創業以来の方針なりと尻をまくる。(…)筆者は青学旧制中学5年2学期までいて、よく知っているが、メソジスト・ミッションで、大幅に寄附に頼っていたから、キリスト教関係、校友関係の優先は不文律だった。たしかに創業以来の方針で悪いこととは誰も思わなかった。しかし現在は政府の助成金なくしては運営できず、助成金の見返りに自民党幹部のどら息子を入れる、となるとおだやかではない。なぜふいにこんなことをいい出したのか。

(中略)文部省厳正なる方針を以てのぞむというが、厳正で臨んだら、全国の教師のあごが干上がってしまうだろう。寄附と縁故に頼るべき私学に、国家の助成金を要する大学のマンモス化が問題の根源だろう。人命にかかわる医科大学のほかはのんびりやるべし。

 

(……)ゲーデルをやって、柄谷(行人)氏の『ソシュールの思想』の書評「「中央公論」3月号」を読み返したが、ますますわからなくなった。私の読解力、ぼけて減退しているか、氏がへんな数学用語で話をこんぐらかしているのか、どっちかだろう。「文藝」5月号の「性的なもの」中の「不完全定理」は誤植と見なしておくとするも、ゲーデルは予想外にむずかしい。柄谷氏の文章はこん後は敬して遠ざくることにする。

 しかし氏の難書評のお蔭にて丸山圭三郎ソシュールの思想』(岩波書店)を読む機会を得たことには感謝する。『ソシュール講義』には弟子たちのソシュールになき文や挿画が附加されているとのうわさは聞いていたが、これほどひどいとは思わなかった。誤れるテキストによるバルト、メルロ・ポンティ、時枝誠記などの所論とのずれ、よくわかった。

 

 日記は1月のみ31日まで書いているが、あとの月は13日から21日までしか書いていない。なぜだろうと思ったら、『文学界』の原稿締切が18日とあったので、多忙の大岡としては、連載原稿を編集者に渡してしまえば、もう来月までは書かないことにしようと思ったのに違いない。自分の著作集の校訂作業や、『富永太郎全集』の編集作業で、ほかに何かを書くゆとりがないことを繰返し述べている。