柄谷行人『柄谷行人対話篇Ⅱ 1984-88』を読む

 柄谷行人柄谷行人対話篇Ⅱ 1984-88』(講談社文芸文庫)を読む。柄谷が対談の相手に選んでいるのは、木村敏、小林登、岩井克人大岡昇平子安宣邦リービ英雄の6人。いずれも極めて高度な内容で、対談ながら読み進むのが大変だった。

 

 木村敏との対談、

木村敏  レヴィナスという人が、これまでの西洋の形而上学は、一貫して「見る」立場だったと言うわけですよね。ギリシアイデアやエイドスがそうだし、現象学もそうなんですね。“直観”とか言って、理論、テオリアは見ることでしょう。だけどそれは視覚の暴力、光の暴力だと言うわけです。

 そして、本当の他者あるいは「他者性」(アルテリア)というものは、光を当ててみようとすれば、決まって壊れてしまうもの、愛撫することができるだけの暗闇だと言うわけです。わたしはそれは、他社の捉え方の一つの方向だろうと思うんです。

柄谷行人  レヴィナスは、現象学存在論に対して、それらが他者を中性化し、消してしまうと批判しています。ぼくは、それに共感するのです。つまりレヴィナスは、他者との関係の非対称性を強調しているからです。ただ、現在のところは、ぼくはそれをウィトゲンシュタインのレベルで考えようと思っています。どうも神とかキリストとかが出てくる議論は苦手なので。「他者」を、もう少し具体的に考えたいわけです。(中略)

木村  ウィトゲンシュタインというのは、ぼくは限りなく分裂病に近かった人だと思うんだけど、分裂病の人というのは、そうとう唯物論的なんですよ。超越論的、神秘的なモヤモヤしたものを、ある意味で恐れているんじゃないかと思うんですが、そういうものを排除しようとするところがある。

 

 岩井克人との対談で、

柄谷  (……)マルクスはたとえば宇野弘蔵が言うように純粋資本主義のようなものを想定しているけれども、その場合、イギリス内部の非資本主義的生産だけじゃなくて、イギリスの外部の経済も含めて、外を捨象するときに、それらを単に捨象するのではなくて、ある一種の内部における外部性として繰り込んでいると思うのですね。

 古典経済学=ヘーゲル哲学と考えた場合に、マルクスは、それらに対して、外部性を持ちこんでいると思います。ヘーゲルの場合は、論理で全部進行するけれども、ほんとは論理自体で物事が動いていくわけがないわけだから、必ず論理にとっての外部性があるんですよ。たとえば歴史的出来事とか。かといって、論理とはまったく別のところに歴史的過程があるというのもダメなわけで、マルクスは、論理の内部にある外部性を入れてきて、それをあらゆる角度、あらゆるレベルでやろうとしている。そして、それがもっとも基礎的に論じられているのが、『資本論』冒頭の商品論だと思うんです。

 貨幣経済あるいは古典経済学、新古典経済学において、何がもっとも外部性なのかというと、じつはほかならぬ貨幣だと思うのです。それで貨幣のいちばん単純な形態は、等価形態というやつでしょう。ある商品が等価形態に置かれると、等価物になる。その等価物を持つと交換できるわけですね、何とでも。もっとわかりやすく言ってしまえば、いつでも何でも買えるわけです。

 マルクスは、貨幣と商品の“対立”を、商品のレベルで、等価形態と相対的価値の“非対称性”に突きつめていくわけですが、言わんとすることは、わりあい簡単ですね。要するに、売る立場と買う立場というのは、絶対に置き換えられない。この関係は絶対に対象化できないという、そういうことだと思うのね。

 

 大岡昇平との対談、

柄谷  ぼくはエリック・ホッファーとか、そういう人たちの本を昔から読んで考えていたのですが、フランス革命もそうなんだけれども、経済成長期に当たっているんですね。不況期には、革命運動が起こってないですね。

 E・H・カーは、民主主義は好況期の思想だと言っているのですが、好況期は自分が拡張できるという感じを与えると思うんです。現在の状態を廃棄してもいいということが、革命的なエネルギーになっていく。もう一つは、戦争で負けるとか、つまり上の権力、権威というものが完全に失墜してしまったとき、その二つだけだと思うんです。革命運動は不況期というのはダメなんじゃないか、と。不況期には人は保守的になり、それがもっとひどくなると、ファシズム的になるだろうと思います。

大岡  われわれは不況時代に育った人間だからね、貧乏がひどくなれば革命になるだろう、そうでないとちょっと無理だろうという考えは、どうしても抜けないのですよね。

 

 子安宣邦との対談では、伊藤仁斎の思想について話題にする。丸山真男荻生徂徠論が批判される。また小林秀雄の『本居宣長』を、宣長の読みついて錯誤していると言う。

 

柄谷  (……)小林秀雄宣長のなかに、合理主義を徹底することでそれを超える非合理性への帰依を見ようとしています。しかし、ぼくは、宣長は“精神”であったがゆえに、徹底的な唯物論者だったと見るのでいいのだと思います。「人間は、死ねば黄泉の国へ行く。善人であろうと、悪人であろうと。そして、死ぬことは悲しい」という宣長の認識は、徹底的な唯物論以外の何ものでもない。ぼくが宣長を肯定的に捉えるとすれば、そういう人として考えます。