毎日新聞年末恒例の今年の「この3冊」が発表された。書評委員が年間で最も良かったと挙げた3冊だ。その内私が印象に残ったものを拾ってみた。
*鷲見洋一『編集者ディドロ:仲間と歩く「百科全書」の森』(平凡社)
本書は3人が選んでいる。
辻原登・選
「ウィキペディア」のルーツともいうべき『百科全書』。近代の知の金字塔かつ最大のベストセラー。ディドロはこの知的宇宙をどのように構築したか。図版少なからず、900ページの浩瀚の書。著者と平凡社の意気はディドロに通ず。
村上陽一郎・選
本書は影響が大きくて、出版社の方でも、本書を巡る後企画もあると聞く。嬉しいことである。
伊藤亜紗・選
本書は18世紀フランスで出版された『百科全書』を、編者であるディドロを軸に描き出す。総ページ数895という大作だが、ですます調の語りに引き込まれる。
*小川哲『地図と拳』(集英社)
本書は2人が選んでいる。
若島正・選
日露戦争前夜から第2次世界大戦までという長いタイムスパンを、満州の架空の都市を舞台にして描いた大作は、近年の収穫のひとつである。歴史小説および戦争小説として読めるのはもちろんのことながら、「現実世界に物語を記す」ことの意義を問い続けるメタフィクションとしての構造が、大きくてしかも重い作品をしっかりと支えているところに感服させられた。
中島京子・選
本書は日露戦争前夜から第2次世界大戦後まで。日本の「近代」を問う壮大な歴史空想小説。国家の理想が示される地図と、その実現のために振るわれる拳のいびつな関係。架空の村・李家鎮を舞台に展開される群像劇の厚みに圧倒された。
佐藤優・選
本書は眼に見えない力と社会と歴史の構造の関係を解き明かした柄谷哲学の集大成にあたる労作。マルクス『資本論』を生産様式ではなく交換様式で読み解くことによって、宗教とのつながりが見えてくる。柄谷氏の思考の強靭さが表れている。キリスト教神学の聖霊論と親和性の高い内容だ。
*斎藤幸平『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA)
藻谷浩介・選
齋藤幸平の『人新世の「資本論」』には、「現場知らず」との揚げ足取りを寄せ付けぬ真実があった。同書刊行の前から、現場に出て「共事者」たる道を探っていた彼の記録をたどれば、「経済成長」に問題解決を委ねる欺瞞が納得される。
沼野充義・選
本書は、旧ソ連文學のミッシング・リングとも言うべき大作。ユートピアと反ユートピアの両極を呑み込むような、恐るべき言葉のパワーを秘めた小説である。20世紀世界文学の極北か。翻訳不可能と言われていたが、ついに邦訳が出た。
*リチャード・パワーズ『黄金虫変奏曲』(みすず書房)
池澤夏樹・選
今のアメリカでいちばん腕力のある作家の小説。テーマは、a染色体の遺伝情報がいかにして実際の身体に具体化されるかという難問を巡る研究史 bポーの短篇「黄金虫」に始まる暗号論 cバッハの「ゴルトベルク変奏曲」の音楽的構成。この3つが絡み合って三重螺旋を成している。