金井美恵子『新・目白雑録』を読む

 金井美恵子『新・目白雑録』(平凡社)を読む。金井の『目白雑録』シリーズは朝日新聞出版のPR誌『一冊の本』に連載されていて、ある分量が貯まると朝日新聞出版から単行本が出版されてきた。単行本は5巻まで発行され、しばらくするとそれが朝日文庫になっていた。しかし朝日文庫は3巻まででそれ以上の文庫化はなかった。売れないからかなっと思っていた。だが、5巻は『〈3・11〉はどう語られたか』とタイトルを変えて平凡社ライブラリーで文庫化された。それで調べて見たら、『目白雑録6』とすべきものが、平凡社から『新・目白雑録』(本書)として単行本化されていた。

 はて、これはどういうことか? 最後に金井は書いている。「連載はまだしばらくは続くものと無根拠に思い込んでいたので、いずれ書くつもりで切り抜いておいた雑誌や新聞の記事や文章、付箋を貼った書籍が本棚に未整理の状態になっています」。

 つまり連載の終了は突然に通告されたのだろう。金井は朝日新聞論説委員だろうと忖度することなく批判する。それが朝日新聞の上層部の逆鱗に触れて連載打ち切りになったのではないか。『一冊の本』では、以前にも植松黎の「世界の毒草」の連載を途中で打ち切っている。おそらく内容が過激だからということなのだろうが、朝日新聞社は子会社の朝日新聞出版の編集に口出しすることを躊躇しない伝統があるのだろう。

 連載打ち切りと同時に単行本化も拒否した。それで平凡社から出版することになったのだろう。私は朝日新聞出版の新刊を注目していたから、平凡社からの単行本化には気づかなくって、6年前発行の本書をようやく読んだのだった。

 金井はサッカーW杯のときの渋谷スクランブル交差点でのDJポリスに絡めて、職業に「さん」付けすることを話題にする。「お巡りさん」「お医者さん」「看護士さん」「運転手さん」「編集さん」「作家さん」等々。この辺はいつもの金井の批判からは些末些事の印象がある。ついでわいろを受け取って辞職した猪瀬東京都知事に対して、毎日新聞の見出しが「裸の王様退場」であったことに触れて、「裸の王様」について開高健の同名の小説や、小泉首相、さらに他人の作曲を自分の作とした佐内河内守にまで話が及ぶ。また感動的なピアノ協奏曲が感動を誘う『砂の器』の映画が紹介される。

 佐村河内守について、高橋源一郎を引用する。

 

 自らを、単に「作曲家」ではなく「クラシック音楽作曲家」と名のらずにはいられなかった佐村河内守の注文通りに陳腐な曲を作曲した新垣隆について、高橋源一郎は、優等生気分で、自分を意識的な小説家と思っている者ならこう考えるだろうという、いわば典型的な解答のように記す。

「見当外れな佐村河内の情熱を、もしかしたら、新垣隆は、微笑ましくも羨ましく思い、それは「いまとなっては不可能な「芸術家」像」であるにもかかわらず「芸術と芸術家(と聴衆)の間に、親密な関係が可能であった時代に無理矢理、時計を戻そうとする、インチキ臭い男」を見捨てておけず、古い「物語」を「鼻であしらえない自分に、新垣は驚いたのかもしれない」と「わたしは思うのである」(「ニッポンの小説・第三部 心は孤独な芸術家」「文学界」2014年4月号)。

 

 次に金井は小学校の作文教育について、丸谷才一の意見を紹介する。

 

 戦前の綴方から戦後の作文コンクール(そう言えば、かつて、作文教育推進者の無着成恭という東北の小学校教諭が、現在の教師出身で教育評論家の尾木ママ的なマスコミのスターだった時代があったのを思い出した)全盛の時代の子供の書いた作文に、保守的な、というか、近代的知性派の文学者がどういう反応を示したかと言うと、丸谷才一は、国語教育は専ら日本語を古典も含めてしっかりと読むことに徹すべきで、未熟な者に作文などというもので自己表現を許すようなことを作文教育だと考えるのは決定的な誤りだ、といった意味のことを、作文教育はとっくに下火になっていた前世紀の末頃に発言していたものだった。

 綴方(作文)教育に対して、知性派の文学者が批判的だったのは当然で、思い出してみれば、10代の最後の年に太宰治賞の次席になって雑誌に掲載された私の小説について、中村光夫大岡昇平は、年の若い女性の書いた、戦後の作文教育の成果のような小説を載せるほど日本の文学は困窮していない、という意味の批評を書いたのだったから、私は、とんだとばっちりを受けたとしか言いようのないものの、しかし、優れた批評の書き手にとって、綴方=作文は、こまっしゃくれた子役の巧みな演技のように形にはまった書き方を広める大衆教育として意識されていたのだろうということは想像がつくし、「作文教育の成果」という皮肉を利かせた言葉を、未成年の作者の書いた小説を眼にして(読んだとは、とても思えない)、ふと書いてしまうのが当然に思えるほど、作文教育は徹底してはずなのだ。

 

 金井は50年近く前の中村や大岡の批判を苦く憶えている。中村も大岡もとうに忘れていただろう。

 相変わらず、金井の高橋源一郎批判は執拗だ。少し過ぎるのでないかとはた目には思うのだが。二人の間に過去何かあったのだろうか。