金井美恵子エッセイコレクション2『猫、そのほかの動物』を読んで

 金井美恵子エッセイコレクション2『猫、そのほかの動物』(平凡社)を読む。金井の書いてきた膨大なエッセイのなかから4つのテーマに分けて、エッセイコレクションとしてまとめたもの。本書のほかに『夜になっても遊びつづけろ』『小説を読む、ことばを書く』『映画、柔らかい肌。映画にさわる』の全4巻からなる。
 本書はタイトルどおり、猫とその他の動物について書かれたエッセイをまとめている。ただ、エッセイではない短篇小説も収録されている。「タマや」「永遠の恋人」「兎」の3篇だ。
 そのほかの動物への言及と言っても、圧倒的に猫に関するエッセイが多い。とくに1989年の12月以来、迷い込んできた猫に『クマのプーさん』からとった「トラー」という名前をつけ、丸3年飼った頃書いた単行本『遊興一匹、迷い猫あずかっています』が本書のほぼ半分を占め、さらにその後書いたトラー関連のエッセイが数十ページにわたっている。そのトラーは18年生きて猫エイズで亡くなってしまう。そのことを書いた「トラーの最後の晩餐、禁煙その他」が圧巻だ。よその猫のことなのに、前にも読んでいるのに、読んでいて目頭がヤバくなってしまう。その章の半分ほどを引用する。

 去年の9月に口腔から出血した後、それまでいつもそうしていたようにマンションを出て外のお気に入りの幾つかの場所(元気な頃というより、その時までテリトリー防衛の重要拠点だった場所)を見回っていたのだったけれど、その日は、たまたま私が午前中に自分の部屋の床の掃除をする気になって、タンスの前と書き物机の下に泡の混ったまだ新しい血を見つけたのだったが、きれい好きな人間はいざ知らず、床掃除などということは毎日やるわけではないから、その日トラーの出血を発見出来たのは、いわばたまたまの幸運で、そうでなかったら夜寝る前、お風呂上がりに着がえる下着とパジャマを出すためにタンスの引き出しを開くまで気がつかなかったはずで、むろん、午前中に部屋を出て行ったトラー(その頃でさえ、この体の状態でよく外に出て行くものだ、と医者には驚かれていて、そのせいでトラーは、老嬢二人の飼主に決して甘ったれなどしない体格の立派な頭のいい誇り高いーー去勢はされているけれどーー野性的な猫と動物病院のスタッフには誤解(?)されていもしたのだったが)はそう長いこと外に置かずに連れ戻すのが日課だったから、連れ戻したトラーのそこだけ白い毛が丸いあかりの輪のように生えている口の周囲が血で染っている異変には気がついたかもしれないものの、今年の9月に入ってすぐ、去年の手術以後一切外出もせず、外でいくら猫のケンカの声が聞こえてもまったく無関心で、ただウトウトと眠るばかりだったトラーが、玄関に風を通すために少し開いておいたドアの隙間をすり抜けて階段をヨタヨタと足をもつれさせながらおりて、連れ戻してもドアの前で外に出たいと鋭く訴えるような激しさで鳴き、あまりのことにドアを開いてやると、また、すっかり骨と皮になりはしたけれど、治療のかいがあって床ずれは治って新しい肉の盛り上がって来た後肢がからまってしまうようなたよりない動きではあるけれど信じられない速度で階段を駆け下り、かつて元気だった頃、いつも寝そべっていたマンションの1階の玄関ホールをゆっくり、案外しっかりした足どりで一巡し、さらに自動ドアから外に出て、いつもその上で寝そべっていたコンクリートの塀に向って、か細い声でニャアと鳴きながら歩きはじめるのだったが、その日は時間を置いて三度同じことを繰り返し、お互いに言いはしなかったが、トラーにも私たちにも、それがトラーの1年間ですっかり柔らかくなった足のうらが最後に踏む外の地面だということがわかっていた。
 すっかり軽くなったトラーの体はカサカサした枯木と枯葉のかたまりのようでひどく軽く冷たく、抱きあげてもたよりなく二日後の土曜日医者へ連れて行くと、最初の頃はケガや耳のただれや眼のモノモライで通うことしかなかった十年来トラーを診察してくれていた先生が、体温も下がっているし、行動から見て今夜がヤマだと考えてくださいと言い、姉と私も、すっかりその気だったのだが、家に戻ったトラーは、トイレをすませて自分の決めた場所に横たわり、横たわったままこれが最後の晩餐になるのかもしれないヨーグルトとミルクを混ぜたものを飲み、ホタテの刺身とカニを食べ、それを夕方から夜中まで三回繰り返し、日曜日と月曜日は、トイレに行く時と寝場所を少し変える以外には寝たきりでウトウトと過し、それでも顔のところに食べ物を差し出すと食べ、トラーを入院させるのはしのびないと先生も言い、家が近いこともあって8月に入ってから日に二度トラーに薬を飲ませに来てくれていた看護士の声を耳にすると、薬を飲ませられるのが嫌いなものだから頭をもたげて逃げるような反応を示し、月曜から4日の火曜日に日付が変って、私の枕元でバスタオルの上で顔を壁側に横向きに横たわって静かに眠っていたトラー(少し前まで、もがくというのではなく、走っている夢でも見ているかのように眼を閉じたまま四つの肢を軽くカサカサと断続的に動かしていたのだったが)の咳き込むような声で、ウトウトしていた眼がさめ、トラーは横たわったまま血を少しずつ吐きつづけ、口もとに持っていったホタテ貝殻形の小型のグラタン皿(18年間使っていた)から水を少し飲み、薄く開いていた眼を閉じそれからまた血を吐いて、そして口を軽く開け、眼を開いたまま、ふっと息を止めたのだった。ひどく長く感じられたけれど、血を吐いて息をひきとるまで30分ほどだったろうか。口内炎と潰瘍のせいでしていた特有の強い口臭が、奇妙なことに最後の息と一緒に消え体はまだあたたかいのに、トラーと狭い世界をつないでいた生気が、あきらかに失われたのだった。
(中略)
 音や風の気配が、トラーそっくりの気配を私たちの狭い住居の世界に漂わせるし、私たちの無意識もトラーの気配を求めているのに、あの臭いが消えた瞬間、トラーの生命は消えてしまったのだ。

 はじめ『一冊の本』2007年10月号に掲載され、のちに『目白雑録(ひびのあれこれ)3』(朝日新聞出版)と題した単行本へ収録され、2011年に同じ題名で朝日文庫として出版された。名文だと思う。文章の巧みさと金井のトラーへの深い思い入れがこの名文を生んだのだろう。