沼田まほかる『猫鳴り』を読む

 沼田まほかる『猫鳴り』(双葉文庫)を読む。迷い込んだ小さい仔猫を飼い始めて、20年後にその老猫を看取る話だと言ってしまっては大事なことが抜けてしまう。推薦してくれた画家のYさんは、読み終わると自分の生き方に関する考えが変わるよと言った。
 全体が3部に分かれている。第1部冒頭で主婦の信枝は自宅の近所で鳴いている仔猫の声に気づく。庭の隅に毛の生えそろったばかりの仔猫が1匹母猫をを呼んでいた。信枝は新聞紙に包んで近くの畑に捨てに行った。林の中に捨てたのではカラスに見つかりにくいだろうからと。カラスに食われるか衰弱死すればいいと思った。
 しかし仔猫は翌朝も庭の片隅に来て小さな声で鳴いていた。ずいぶん弱っていて肩のあたりに大きな傷口もみえるが、また林に捨てに行く。そのとき、おばちゃんのところに仔猫を捨てたのだという少女が現れ、夫や夫の同僚と捨てた林に探しに行き、モンと名付けて結局飼うことにする。
 第2部では父親と二人暮らしの13歳の男の子行雄が主人公だ。行雄は不登校で公園で時間をつぶしている。その時大きな猫モンを連れた同級生が現れる。第1部で仔猫を捨てたという少女がその同級生だ。少女からブラックホールという宇宙の不思議な存在を教えられ、自分がブラックホールだと思う。行雄は衝動的に公園で遊んでいる幼女を殺しそうになるが、未遂に終わる。
 第3部で猫モンは20歳になっている。信枝は数年前に亡くなって、信枝の夫の藤治が70歳ほどになっていて猫と一緒に暮らしている。猫はどんどん衰弱して行って、最後の1カ月以上は水しか飲まない。獣医に往診してもらい、その若い獣医との会話がミソになる。猫が衰弱し行雄がその面倒を見る描写が延々と続く。それはおそらく作者の実体験なのではないか。小説の創作というよりは記録文学というにふさわしい。この作品のなかで最も優れた部分だ。
 猫の最後を看取るといえば、早坂暁のアマテラスという渋谷の街に君臨した雌猫の死地への行脚を描いたエッセイと、金井美恵子の飼い猫トラーの最後を描いたエッセイが白眉だったが、それに次ぐのではないか。
 ただ、小説の構成という点では不十分なものがある。第2部を挿入した必然性が納得できないし、第1部で仔猫を一緒に探してくれた藤治の同僚の描き方も、中途半端な印象を受ける。総じて伏線かと思われたものが十分に回収されていない。おそらく、老猫の最後が作家の表現したいことの芯で、それを小説に仕立てるために様々なエピソードを追加していったのではないか。
 厳しい見方になるが、老猫の看取りの描写のみ評価して、その余についてはあまり高くは評価できないといったところだ。ただし、解説の豊崎由美は絶賛している。「これは、わたしが書評家として自信をもっておすすめできる、生と死の際(きわ)を描いて素晴らしい傑作文芸作品です」と。豊崎は私が信頼する書評家の一人で、彼女の推薦する海外文学はその書評の確かさを確信させるものなのだ、が。


猫鳴り (双葉文庫)

猫鳴り (双葉文庫)