加藤典洋『僕が批評家になったわけ』(岩波現代文庫)を読む。「批評とは何か」を考えて本書を書いたという。批評には文芸批評という狭義の批評と、評論という広義の批評があるという。この辺からもうよく分からない。
加藤は初期に『文藝』という雑誌から新刊書の書評を依頼された。最初に村上春樹『羊をめぐる冒険』を取り上げ、2回目は村上龍、3回目は柄谷行人『隠喩としての建築』を選んだ。その柄谷の著書にはおびただしい思想家、哲学者の名、引用などが出てくる。加藤はこれらを何も勉強しないで批評することが可能なのかと考えて異常な不安に襲われる。何日か不安な夜を過ごした後で、次のように考えて心が落ち着いた。「批評というものが、学問とはとことん違い、本を100冊読んでいる人間と本を1冊も読んでいない人間とが、ある問題を前にして、自分の思考の力というものだけを頼りに五分五分の勝負をできる、そういうものなら、これはなかなか面白い」。そして、「批評とは、本を1冊も読んでいなくても、100冊読んだ相手とサシの勝負ができる、そういうゲームだ」と。
この考えは後半でも変わっていないとされる。それは正しいだろうか。
私の多少なりとも知っている美術批評の世界に限れば、ほとんど絵を見たことがない、あるいはせいぜい時に有名な美術展しか見ていない人と、美術批評家とでは全く勝負にならないだろう。以前、東京造形大学の学生の絵を慶応義塾大学の学生が論評するという企画が立てられたことがある。中村宏が23歳で美術史に残る傑作『砂川五番』を描いたように、若い画家が高い水準の絵を描くことは不思議ではない。若い画家といってもおそらく小さい頃から絵が好きで、美大に入る前から何年も絵を描いていることが多いだろう。翻って優秀な大学生でも、それが文学部などの学生であれば、絵について真剣に考えたことはあまりないのではないか。先の企画で、慶応の学生の「評論」はお粗末なものであった。言葉を選ぶことはできる。文章を飾ることもできる。しかし、絵の見方は先天的には分からない。絵を語るにはまず絵の地図が必要だ。絵の地図とは美術史であり、そこに繰り広げられた美術の流派、主義のことだ。美術の思想だ。ルネサンスがあり、マニエリスムがあり、ロココ、バロック、古典派、印象主義、ポスト印象派、フォーヴ、キュビスム、シュールレアリスム等々。そして戦後の美術運動がある。君が論評しようとしている若い画家は、どんな美術運動の影響を受けてこれを描いているのか? その技術の巧拙は? 彼の思想は? 美術評論家ならそれらを知っている。若い画家が全く新しいことを始めたのか、それとも〇〇派の方法をなぞっているだけなのか、古い技法を刷新して新しい絵画を生み出しているのか。
私には加藤典洋が柄谷行人をうまく論評できたとは思えない。昔、サルトルが来日した折、マルクスが社会的な問題を、フロイトが心理的な問題を解決してしまった。もう小説の可能性は残されていないと言ったのに対して、日本のインタビューアーが、開発国などのマルクスもフロイトも知らない作家だったらどうですか? と質問すると、間髪を入れず、それは無知に過ぎないと答えたことが印象に残っている。「それは無知に過ぎない」という言葉が強く私の記憶に焼き付いている。